10月, 2020年

「才能発揮」には忍耐強さも必要

2020-10-27

昨日、毎年行われる「プロ野球ドラフト会議」が行われた。新人選手に対する“スカウト交渉権”を得るための場だが、今年の場合さまざまな面でいつもとは異なり、異色のドラフト会議になった。私が何よりも感じたのは、今年の場合には高校生の“指名選手”が少なかったような気がすることだ。今年は「甲子園球場」での“全国高校野球大会”が中止となっているので、高校球児たちにとっては全国的な“活躍の場”がなかった。もちろん、プロのスカウトマンたちは全国大会などなくても“若い才能”を発掘できる眼を持っているのだと思うが、それでも全国にTV中継されて活躍した選手は、多くの野球ファンの記憶に残る。いや、野球ファンでなくても連日TVや神前で報道されれば、顔や名前を覚えることもある。そういう選手がいるのといないのとでは人気商売でもあるプロ野球球団にとって違いは大きいと思われる。それに十代後半というのはスポーツ選手にとって成長著しい時期でもある。昨年思うように活躍できなかった選手が、一年を経て甲子園に戻ってきたとき、見違えるようにたくましくなっていたり、優れた素質を開花させていたりすることは稀ではない。そういう意味でも、高校生選手にとっては“見せ場”が奪われてしまったことになる。ただ人生という観点で考えると、このような“理不尽な出来事”というのはしばしばあるもので、それだから才能を発揮出来ないとか、プロとして活躍できないとか、不運な運命だったと考えるのは、少し違う。忍耐強くチャンスを待っていれば、必ず、才能を発揮できるようなチャンスや時期というものはやってくるものだ。焦り過ぎて、その道を放棄してしまえば別だが、そうでなければ、必ず、チャンスはやってくる。但し、チャンスが来た時に“実力”や“素質”を発揮できるかどうか、そのための準備や努力を普段から継続し続けているかどうか、その部分が重要なのだ。それが出来る人は、プロとして活躍できる素質や能力を秘めていることは間違いがない。本当に才能がある人は、決してあきらめきれるものではないからだ。

混乱の「大阪都構想」“言い出しっぺ”は居ない

2020-10-26

11月の1日に“住民投開票”が行われる「大阪都構想」の“賛・否”が揺れに揺れている。住民自体の意見が「真っ二つに割れている」のが現状のようだ。アンケート調査を行っても、年代別、男女別、政党支持別で、それぞれ大きく異なった結果が出ているので、結局、どちらになっても、揉め続けるのではないかと思われる。例えば、年代別では30代以下の人達は、賛成52%、反対30%で賛成が多い。ところが60代以上になると賛成34%、反対54%で、その比率は明らかに逆転する。そして中間の40代は賛否とも微妙な数値となるのだ。男女別では、男性はどちらかといえば賛成が多く、女性はどちらかといえば反対が多い。同じ政党支持者でも一律ではない。全体的な調査でも、調査日によって比率が違っていて、つまりは住民自体が「迷っている」という印象が否めない。そういう“混乱”を引き起こした張本人というか、言い出しっぺは確か元知事&市長の橋下徹氏だったと思うが、彼は今や「評論家」となっていて、今回は直接的には関与していないかのように見える。そうすると最終的な責任は、松井市長がとるのか、吉村知事がとるのか、どちらに決まってもスッキリとはいかない雲行きなのだ。大阪は外国人観光客が多い。このところ大阪の税収も大きく潤い始めていた。そのせいか、住民たちは“改革”というものに寛容だった。今回のコロナ騒動が起こるまで、どちらかといえば住民たちの多くは“賛成派”に傾きつつあった。ところが、ここにきて一時的にせよ外国人観光客が減って来たことで、必ずしも「都に変える」ことがプラスとばかり言えないような雰囲気が出てきたのではないのか。今回の改革に失敗すれば、政党としての「維新の会」そのものにも“すきま風”が吹く。一時期のような勢いは、今の「維新の会」にはない。もし、否定されれば「都構想」を見込んで“商売”をもくろんでいた人たちは黙っているだろうか。逆に「都構想」実現となったら、反対していた人たちを納得させる“何か”が必要となる。そうでないと、大阪に元々存在している「香港」や「タイ」のような住民たちの対立構造が勃発しないとも限らない。

「500年前の件」で謝罪し、絵文書も貸せ⁉

2020-10-25

500年前、現在のメキシコは「アステカ王国」だった。それなのにスペイン人たちがやって来て、先住民たちに対して残虐な行為を働き、略奪をし、服従させた過去を持っている。だから「謝れ」と、現メキシコのアムロ大統領が息巻いている。わざわざ大統領の書簡を夫人に持たせて、現在のローマ教皇やスペイン国王を跪かせようとしているのだ。なかなかに大胆というか、どこかの大統領にそっくりというか、2018年に就任以来、その姿勢は一貫しているらしい。なにしろメキシコは独立200年、スペインからの侵略を受け500年、アステカ王国の建設から700年という“節目の年”を来年迎えるらしい。だから、そういう意味でも華々しいイベントの目玉が欲しいようだ。そうはいっても、そんなことを500年も経ってから言われても、やすやす応じることはできない。客観的に観ても、現在の「メキシコ」という独立国家が、現大統領名で“ローマ教皇”や“スペイン国王”に求めるべき案件ではない。バチカンのフランシスコ教皇もスペインのフェリペ6世国王も、もちろん応じようとしていない。もし、そんなことに応じていたら、世界中の国々で「謝れ合戦」が始まってしまう。世界の歴史は悲しいかな「侵略の歴史」だからだ。それにローマ教皇の場合、1992年にパウロ2世が既に謝罪しているのだ。だから「歴史的な行為は、現代に照らし合わせた形で判断されるべきもので、要求は論外だ」と撥ねつけられている。大体、アムロ大統領はちょっと無神経すぎる。それでいながらスペインなどヨーロッパに渡った先住民のボルジア絵文書やテノチティトラン古地図などを一年間公開したいので貸して欲しい…という要求まで出しているのだ。大統領は確かにトップでも「教皇」や「国王」とは“格が違う”ことを自覚された方が良い。

ホテルに残された「遺影」「骨壺」は忘れ物なのか

2020-10-24

客足が戻りつつあるホテル業界だが、そのホテルマンが語ったという“忘れ物”についての記事が興味を引いた。ホテルの忘れ物で圧倒的に多いのが「スマホの充電器」「アクセサリー」「洋服」の三種であるらしい。確かに、これらの関してはだれしも納得がゆく。洋服は時間に追われて最後の点検をせず、そのままクローゼットに入れて出発してしまうケース。スマホの充電器は片付けようと思いながら何となく別のことに気を取られて忘れてしまうケース。アクセサリーは洗面台などに置いたまま、翌日になると忘れてしまっているケース。まあ、大体そんなところだろう。わからないのは「大型家電」「超高級時計」「遺影」「骨壺」の“忘れ物”もあるということで、しかも、その多くはそのままになってしまうケースが多いらしい。購入したばかりの大型家電や超高級時計を忘れてしまうのは、外国人観光客に多いのかもしれない。日本人だと、大型家電をホテルに運ばせることなどしないだろうからだ。また超高級時計の方は購入したこと自体を忘れたのか、或いは急いでいて腕から外したままホテルを出てしまったのか。一番の問題は「遺影」や「骨壺」を忘れていく客だ。私は初めて知ったが、ホテルというのは基本的に“忘れ物”に関しては、客側からの問い合わせがない限り、ホテル側から連絡は入れないのがルールなのだそうだ。したがって「遺影」や「骨壺」でも、問い合わせが無ければ一定期間は保管し続けることになる。だが、こんなものを“忘れる”だろうか。「遺影」や「骨壺」は、基本的に家族に渡される。当たり前の話だが、家族以外に持ち帰るはずがない。したがって、いったんホテルに泊まる形で「遺影」や「骨壺」を部屋に置くのは、身内ではあるが今現在は一緒に暮らしていないケースが多い。親子・兄弟の場合が多いと思うが、何年も、時に何十年も疎遠になっていた可能性もある。さらに離れて暮らしていたということは、関係性として“良好ではない”場合があるに違いない。そう考えてみると、実は「置き忘れた」のではなく、故意に「持ち帰らなかった」可能性はないのか。最終的にホテル側がどうするのか知らないが、遺恨を持つ関係は「死後」までも引き摺る可能性がある…。

秋篠宮家の「姉・妹」は立て続けに結婚する⁉

2020-10-23

私がここで前天皇ご夫妻が、やがてアメリカに居住するようになる秋篠宮眞子&小室圭ご夫妻の子供に逢いに行くようになる…ということを書いたのはいつだっただろう。もちろん、まだ前天皇ご夫妻が“天皇ご夫妻”だったころの話だ。もちろん、まだ正式に秋篠宮眞子さまと小室圭氏との結婚は成立していないし、“宙に浮いた”形のままである。けれども、あれだけのバッシングを受けながらも、2人は破局しなかった。私が最初から予見していたように、この二人は相性が良い。ただ小室氏は「天皇家」にすんなり受け入れられる四柱命式もホロスコープも持ってはいない。ここが問題なのだ。したがって、彼が眞子さまと結婚するには「天皇家」と距離を置くしかなく、アメリカ生活が相応しいということになる。したがって、眞子さまと結婚するには最初からアメリカに新居を持てば良い。実際、そうとしか思えないような状態で今日まで来ている。眞子さまのホロスコープは太陽と月とが180度で対冲している。これは公的な生活を重視すれば私生活が犠牲となり、逆に私生活を重視すれば公的生活が犠牲となる惑星配置だ。“両方を上手く”というのは事実上、不可能に近い。私は以前、眞子さまの結婚時期として2021年6月上旬か2022年3月が良いと記した。また、彼女の妹である佳子さまには2021年10月の結婚が良いと記した。これらは、あくまでも占星学的な“佳き日”であって、宮中行事や職業的な憶測とは何の関係もない。つまり、偶然の選択なのだが、もしも、これらがそのまま実現する形となれば、どちらが先かはともかく「姉・妹」は半年もたたずに相次いで結婚していく形となる。世間やマスコミがそれらをすんなり許すかどうかは微妙だが、“暗い話題”が先行する「令和」の時代に“結婚ブーム”を巻き起こすくらいのインパクトを与えられれば、秋篠宮家にとっても“晴れがましい年”へと切り替えることが出来るのではないだろうか。

学校とは「生きる理由」を見つける場所

2020-10-22

現在、立命館大学の国際平和ミュージアムで10月28日迄「世界一貧しい元大統領から学ぶ本当の豊かさ」という企画展示が行われている。2012年の国連におけるスピーチで一躍有名となったウルグアイのホセ・ムヒカ大統領に関するパネル展示だ。この元大統領を慕って単身逢いに行き、インタビューしてきた女子大生らを中心に企画されたものだ。ホセ・ムヒカ氏は2010年から2015年まで大統領だった。けれども大統領公邸を嫌って、小さな農場で質素な暮らしのまま過ごしたことで知られている。そして収入の大半を施設などに寄付し続けた。彼は2012年に国連で「幸せとは何か」を問いかけた。どうすれば後進国を、もっと豊かに出来るかを話し合う場においてだった。「貧しい人とは少ししかものを持っていない人なのではなく、いくらあっても満足しない人のことである」この演説は有名になり、その質素な暮らしぶりから「世界一貧しい大統領」の称号を授けた。一時期、注目を浴びた大統領だったが、いつしか誰も顧みなくなっていた。けれども、その元大統領をずっと尊敬し続けていた少女がいた。やがてバックパッカーとなり、世界を巡り、そして元大統領に直接逢ってインタビューしてきたことで、彼女には「国連で働く」という夢が生れた。元大統領は彼女に言ったのだ。「素晴らしい人生とは、生きる理由を持っていることだ」そして「学校っていうのは、生きる理由を見つける場所なんだよ」これ以上の“教え”があるだろうか。誰しも人生の中で、さまざまな人から影響を受ける。そして、多くの人にとっては“他愛もない出来事”が、或る人にとっては“特別な出来事”になる。文字通り“生きる理由”を見つける出来事になるのだ。感受性のもっとも強い十代後半は、同時に“生きる理由”を見失いがちな時代でもある。それが何であれ、見つけることが出来た人達は「素晴らしい人生」を歩めるかもしれないのだ。

「赤い糸」が「一軒家を無償で借りられる権利」に発展

2020-10-21

あなたは「赤い糸プロジェクト」をご存じだろうか。もちろん知らないだろう。大阪市鶴見区のNPO法人「みらくる」が取り組んでいるコロナ困窮者のための“支援プロジェクト”だ。今年9月に立ち上げられたばかりなのだが、その最初は100円ショップで購入された「赤い糸」からスタートして、現在は何んと「一軒家を最大十年間無償で借りられる権利」にまで発展した、現代の「わらしべ長者企画」ともいうべきものである。単なる「支援金募集」などでは面白くない。みんなが楽しみながら、この企画に参加をして“社会貢献をしていこう”という発想のもとにスタートしている。なかなか興味深いプロジェクトなのだ。9月24日にスタートしたばかりなのだが、100円の「赤い糸」は「コーヒーセット」や「色鉛筆」や「西武時代のユニホーム」など次々に変化して、とうとう「三階建85㎡一戸建ての最大十年間の無償供与の権利」という“信じがたい価値”まで跳ね上がった。ここに参加した人たちの多くが、物々交換によって得た品物をちゃんとコロナで困窮している人たちの元に届けていることも素晴らしい。例えばコーヒーセットは、コロナの入院患者多数を抱える病院で働く人たちの元に届けられ、色鉛筆のセットは困窮者の園児が通う幼稚園へと届けられた。もちろん、最終的にはお金に変えて“その種の団体”に寄付するのだろうが、個別的にも活用されて支援しているところが良い。何よりも私が好いと思ったのは、楽しみながら「支援する」という考え方、これが素晴らしい。確かに「わらしべ長者型」の支援は、最終的に何に変わっていくのか、誰にも予測できない。しかも、それは“善意の輪”でありながら“好奇心の輪”でもあり“夢の輪”でもある。11月22日までらしいので、まだまだ大きく広がっていく可能性もないではない。とてつもないものに変わって、とてつもない金額に変わったなら、どんなに素晴らしい「赤い糸」が結ばれることだろう。

ピカピカの40年前に戻る「勇気」

2020-10-20

女優の宮崎美子氏が自らの芸能生活“40周年”を記念して「カレンダー&フォトブックセット」を発売した。そして40年ぶりにカメラの前で“ビキニ姿”を公開している。ほぼ同時に「週刊現代」でも11ページにわたって写真姿を公開している。“40周年記念”と言ってしまえばそれまでだが、彼女の場合には、その中間に“グラビア時代”はない。確かに「健康的なビキニ姿」でブレイクしたのだが、その後は女優として脚光を浴びたので、水着姿になることはなかった。例えば熊田曜子氏や中島史恵氏のような“セクシー写真集”とは無縁であった。むしろ、政治や社会の問題を扱うような番組に出演するケースが多かった。それで落ちぶれて行ったのかといえばそうでもなく、むしろタレントとしての好感度を保ちながら、女優業もこなしていた。つまり、普通で言えば、今さら「裸を見せなくても…」というタイプの女優だった。したがって今回の“ビキニ姿”は、或る種の“勇気”を伴ったはずだ。特に「週刊現代」にも公開しているということは、還暦に達し40年を経過して「初心に帰る」とでもいう気持ちが無ければ、行えないことのような気がする。もしかすると、彼女は何人かの著名な芸能人たちが“自ら死を択んだ”ことに対するメッセージを発信したかったのではないか、私にはそんな気もするのだ。「私は老いても、自らを晒して生きていく」そういう“無言のメッセージ”なのではないか。芸能人といえども、当然のことながら、誰もが老いる。誰もが、若い時のままではいられない。けれども、それは自然なことなのだから、老いを晒しても良いのだ。自然に齢を経て来た姿に誇りを持てばよい。実は彼女は、どちらかといえば“穏やかな顔立ち”であるが、耳の内郭だけは「くの字型」に突き出ている。こういう人は“自分の生き方”を貫きたがる。“生き方”に関してだけは頑固なほどに信念を貫く。それは同時に「開拓者」としての意識を伴う。つまり「世の60代の女性達よ、私に続いて欲しい」という本能的な“願い”を持っている。果たして、彼女に続く人たちは現れるのか…。

「70代女性」の元気と「30代女性」の体力低下

2020-10-19

日本には「スポーツ庁」と呼ばれるものがあって、そこが各世代別の体力や運動能力に関する調査報告を出した。それによると「東京オリンピック」が行われた1964年当時に比べて、令和の60代後半~70代の女性は総体的に体力も運動能力も格段に優れているらしい。医療とか食事内容とか、いろいろな条件がそうさせているのだろうが、私が思うに、いちばんの違いは“何かをしている女性”が圧倒的に多いことだ。昔は、60代後半以降というのは、女性達は特に何もしていなかった。家事は普通に行ってはいても、それ以外のことを行っている女性は極端に少なかった。今の60代後半~70代の女性達は、逆に“何もしていない”女性の方が珍しい。現役で働いている女性も多くなったし、趣味のサークルや何かの習い事や勉強を始めている女性も多い。運動にも熱心で、ジョギングとか、散歩とか、ダンスとか、ヨガとか、ジム通いとか、いろいろと忙しい。つまり、昔は“余生”といえるような生き方だったのに、今は“現役”としての生き方に変わったようだ。特に、女性の場合には男性よりも相対的に“長く生きる”可能性が強いだけに、健康を維持しようとする意識が高まったような気がする。その反対の兆候が表れているのが30代後半女性達だ。体力も運動能力も55年前に比べて“低下傾向”にあるらしい。しかも、この傾向は一時的なものではなくて、ここ20年くらいずっとそういう傾向にあるというのだ。つまり、日本の経済力が落ちて来て、30代後半女性達が働きに出なければならないし、家事や育児にも追われなければならない…という状況が出てきた状況に符合する。このようなデータから考えると、日本女性の場合は、もしかすると家事や育児に追われる間は“専業主婦”的な生活の方が幸福なのかもしれない。派遣社員やパートとして働きながら、同時に家事や育児も“両立”させる状況というのは、日本女性から心身の活力を奪ってしまうのかもしれない。ましてや、今のように“将来が不安”になって来る社会情勢だと仕事を辞める選択肢はないから、この状況は当分解消されないことになる。30代後半女性達のこころとからだが蘇ってきたとき、日本そのものも蘇っていくのだ。

麻薬首領「ゴッドファーザー」は「前国防相」だった

2020-10-18

あなたは「ゴッドファーザー」という名曲、或いは映画を知っているだろうか。知っているなら若くはない。とにかく私の大好きな映画音楽だった。もちろん、大ヒットした映画も「マフィア」を描いているのだが、それでいて胸詰まるような場面がいくつも出てくる。素晴らしい映画だった。ところで、昨日、その「ゴッドファーザー」と呼ばれていた男が捕まったのである。映画の中の人物ではなく、ホンモノの“麻薬密売組織のトップ”として君臨していた男だ。皆から「ゴッドファーザー」と呼ばれていたらしい。その男は、家族との旅行でメキシコからロサンゼルス空港へと降り立ったところを身柄を拘束され、米麻薬取締局にコカイン、ヘロインの密売、さらに“資金洗浄の疑い”も含めて逮捕・起訴されたのだ。さて、話はここで終わらない。この人物、実はメキシコで麻薬犯罪対策を指揮する立場のサルバドル・シエンフェゴス前国防相だったのだ。つまり、麻薬を取り締まる側のトップに立つ人物が、何んと麻薬密売組織のトップに立ってもいたという“映画の世界”のような本当の話なのだ。そういえばカルロス・ゴーン氏も映画になるそうだから、この人物も映画化すべきかもしれない。こういう現実を知ると、我が日本人の“誠実さ”というのは何にもまして「宝」だと思う。だが、メキシコ側に立つと、取り締まる側のトップが犯罪組織のトップでもあるのだから、麻薬密売とか資金洗浄とかが無くならないのは当然だともいえる。そういうところで暮らす日本人は、余程の覚悟と注意が必要なわけだ。特に日本女性は、音楽などの方面から中南米世界に踏み込んでいく人が多い。私の占いのお客さんで、中南米のミュージシャンに惹かれて交際し、その後を本国まで追いかけ、その男性の実家で半年ほど暮らした女性がいた。美人で才能も豊かだったが、結婚の夢破れて日本に戻ってからは派遣社員をせざるを得なくなった。「向こうで、私は悪いことをしてしまったんです」「悪いこと?」「乱交パーティのところに連れていかれて、クスリまで廻されて…」と言っていた。その後の事情を知らないが、東京で無事に暮らしていることを祈りたい。

預金1000万が「宝の持ち腐れ」になる⁉

2020-10-17

世の中に「心配性」の人は多い。心配性の人は、どんなに周りが「大丈夫」といったところで訊く耳を持たない。大体が“長期的未来”を考えすぎる。「未来」とか「将来」について考えることは悪いことではないが、せいぜい十年先ぐらいまでで、それより先をあまり深刻に考えすぎるのは止めた方が良い。誰だって“先のこと”など本当には解からないのだ。占い師の私だって20年先の自分がどうなっているかはわからない。多分、死んでいるか、死の一歩手前辺りに居るか、まあ、そんなところだろう。私は眉の毛が長く、これは本来は“長寿の相”なのだが、いつ、どうなるかなど解からない。私の父親も極端に3~4本眉の毛が長かった(なんと10㎝以上もあった)が、床屋さんが気を利かして、それを切ってしまった。そのせいかどうか、急に健康を損ねて旅立ってしまった。だから、人生というのは解からないのだ。数年前から、世間では「老後資金」という言葉が流行り出した。誰がどうやって計算したのか知らないが、老後資金として「2000万円は必要」だというのだ。この“ばかばかしい仮説”を本気になって信じ込んでいる人が世間には多い。おそらく“平均寿命”等で計算しているのだろうが、そんなのはあくまで平均でしかない。大体「宝くじ」で何億円が転がり込んでも“自己破産”してしまうような人が何人もいる。もし、日本がインフレに傾いたら、2000万などあっという間に“200万の価値”に変わる。そういう社会情勢というか、世の中の変化というものを加味しない(できない)計算など意味がないのだ。さて、最近出た雑誌上で“老後資金”の心配をしている方の相談内容と、それに応える家計コンサルタント氏の回答が掲載されていた。相談者はパート主婦43歳で、公務員47歳の夫を持ち、14歳と11歳の娘さんを持っている。彼女いわく既に預金1000万円を超えているが、2000万円には程遠いので「不安で仕方がない」らしい。収入は月475000円というから、なかなかのものである。しかも戸建ての持ち家で、特別、大きく毎月かかるお金というのはないらしい。私には、何がそんなに「不安」なのか、まったくわからない。40代夫婦で持ち家で預金1000万で月収50万に近い家庭などと言うのは、現代では「理想の家庭」ではないだろうか。それなのに不安がって「もっと貯蓄に励まなければ…」などと言っていたら、人生を愉しめない。つまり、一生、不安を抱えながら生活していかなければならない。もっと、大らかに暮らさなければ“幸福な日々”にならない。心配事は、それが起きてから心配すれば良いのだ。

趣味を「仕事」にする魔法の方法

2020-10-16

私が、もう40年以上も続けている習慣がある。いや50年近いのか。とにかく長続きしている習慣だ。それは朝に髪を洗うことで、俗にいう「朝シャン」である。考えてみると本当に長続きしている。何のことはない朝に浴室に入って、シャワーを浴びながらシャンプーをし、トリートメントで流す、という他愛もない行為で、別に自慢できるようなものでもない。けれども、最初の頃は、まさかこんなに長く続けていくようなことになろうとは思わなかった。これは、一つには文字通り習慣になっているからで、何となくそうしないと一日が始まらない。たまに来客が無いような日があっても、だからといって「朝シャン」をしないという選択肢はない。なぜ、このようなことを書き出したのかというと、最近、浴室に入るたび、シャンプーが垂れ流されて浴室の床まで少し流れ固まっている。このシャンプーは私しか使わないから、昨日の後のままになっていなければならない。ところが、なぜか少しだけ垂れ流された形跡がある。このところ、いつもそうなのだ。そういえば最近、妙なことばかりが起こる。先日、コンビニに行って買い物をしたら、購入額によって「クジ」が引けることになっていて、それを引いたら、なんと5枚とも“当り券”だったのだ。そんなことって、あるのか。だから、私は、別にほしくもない“商品”をたくさんもらって帰ってきた。コンビニの“クジ”というのは、元々当たりやすいように出来ているのか、ローソンでも、ファミマでも、必ずと言っていいくらいに当たる。そのたび店員さんが持って来てくれるのだが、正直、別に「貰っても…」と思うことが多いのだが、なんとなく店員さんに悪くて言えず、貰って帰る。ところで、話が飛んでしまったが、世の中、自分の趣味を仕事にしたい、という人は多い。それを実現させる一番良い方法は、毎日続けること、毎日行うこと、これに尽きる。なぜなら、仕事というのは基本、毎日行うことだからだ。だから、毎日、それを習慣にしてしまえば、何十年も続けている内に、必ず、仕事になっていく。副業的に…という場合もあるが、ともかくも習慣というのは「仕事」にさせてしまう“魔法の力”を持っているのだ。

“遊ぶ金”欲しさで、一生を棒に振る若者たち

2020-10-15

昨日、広島県で会社役員ら5名が「給付金詐欺容疑」で逮捕された。逮捕者以外にも十数人が関わっている模様で、かなり組織的に行われた様相が出てきた。この「給付金」は、元々フリーなどで働く“個人事業主”を対象としている。私などでもそうであるが、個人事業主というのは仕事に波があり、社会的な時流というものに脆い。今年のような“対面商売”にマイナスとなる出来事は、当然、収入に響く。それは、そうなのだが“給付金の申請”は手続きが非常に面倒である。そこで面倒くさいことを嫌う私のような個人事業主は、申請などしない。おそらく、そういう個人事業主も多いと思う。そこで妙な言い方だが、実際の申請数には“余白”部分が生じる。つまり個人事業主でなくても、個人事業主を装って申請したとしても、行政側は不信に思わないのだ。その結果として、実際には個人事業主ではなくても「給付金」が振り込まれた人物が沢山いた可能性がある。そして、その後で何かしら問題があれば、警察の方で文字通りの「振り込め詐欺」として摘発に動く。実際、ここに来て、全国各地で“給付金詐欺容疑者”たちが続々と逮捕されている。昨日の広島の会社役員ら5名も、そういう詐欺犯なのだ。彼らの多くは「アルバイト」として集められたフリーターや学生たちで、本来は個人事業主ではないのだが「個人事業主」として給付金を申請していた。その結果、予定口座にきちんと振り込まれたのだ。つまり、彼らは、途中で発覚したのではない。けれども、その中の誰かが、良心に耐え兼ねて警察に自首した。その結果として多数の仲間たちが“芋づる式”に捕まったのである。したがって、このようなケースが他の地域でも行われた可能性は大きい。詐欺犯罪者がいちばん狙いやすいのが「個人事業主」に“成り済ますこと”なのだ。けれども、その結果、若者たちは「詐欺犯罪者」としての“重い十字架”を背負って今後の人生を歩むことになる。おそらく大学生も自分たちが行っていることは「犯罪」であると感じていただろう。けれども、多くの人がやっているような“錯覚”に陥っていたに違いない。また“国のお金”ということで「誰も損しないし、困るわけでもないし…」という気持ちがどこかにあって、“詐欺”を軽く捉えてしまったのだ。仮に「みんながやっていた」としても、犯罪は犯罪なのだ。

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