9月, 2020年

なぜ日本の男性未婚率は“急上昇”したか

2020-09-30

発売されたばかりの『データで読み解く「生涯独身」社会』という本が注目されている。データを基として、日本の男女の“未婚率”や“交際率”や“結婚願望”の比率などを示し、特に男性における「生涯独身」が、今後の重要な問題になり得ることを指摘している本だ。単純に言うと、現段階では、50歳男性の4人に一人が「未婚」状態なのだ。もっとも、この“現段階”というのは2015年の調査結果で、今年行われた国勢調査の結果はまだ出ていない。ただ、これまでの推移から間違いなくその比率は上昇しているはずだ。ちなみに女性の場合には7人に一人の割に留まっている。世間的には、女性の方の“独身傾向”の方が注目されやすいが、実際には男性の方がより深刻なのだ。世界的に観ても、先進国における未婚比率は高まっている。だから、特別日本固有の問題ではないのだが、実は問題なのは、日本人の場合にはその9割近くが「結婚を望んでいる」という点にある。他の国では、特定のパートナーは存在しながら「“結婚”という形式」を選択しない傾向が強まっている。そのために未婚率が高まっているのだ。日本の場合には、そうではなくて、相手を得られないことで“独身”のまま来ている。明らかに、その内容が異なるのだ。18歳~34歳までの男女に関する調査でも、男性では7割が、女性では6割が「現在、交際相手がいない」と回答している。つまり、さまざまな恋愛経験があっての“独身”ではなくて、ほとんど恋愛としての本格的交際も経験することなく“独身”で来ている男女が増えているのだ。それを反映するかのように“恋愛の歌謡曲”が減ってきている。70年代から80年代にかけて「流行歌」とも呼ばれる歌謡曲は、時代を反映して“恋愛の歌”が圧倒的に多かった。それが90年代の半ば頃から徐々に少なくなる。“恋愛の歌”が売れなくなったのだ。いつの間にか、日本の“経済力”が低下し、それに合わせて独身者たちの収入が低下し始めた。つまり、生活していくことで“精一杯”で恋愛に回せるような余力が、経済的にも体力的にも若い人たちから失われていったのだ。加えて、世の中に「セクハラ」「パワハラ」「ストーカー」「DV」が横行して、男性の女性に対する“愛情表現”に制約が出てきた。ちょっとしたことでも、女性側から「セクハラ」とか「ストーカー」とか言われるようになった。そうすると、若い男性達は女性に対して“積極的に出ていく”ことが難しくなった。それでいて日本の女性達は“恋愛に受け身”な場合が多い。結局、一部の“イケメン男性”以外は、片想いとなっても“積極的に出れない”状態となってしまった。このままでは、男性の“生涯未婚率”はますます上昇していく。恋愛一つもないまま人生を終えるなんて、あまりにも寂しい。せめて大ヒットして日本中の男女が口ずさむ「流行歌」だけでも生み出さなければ…。

韓国の芸術家達は、どうして怒らないのか⁉

2020-09-29

韓国がまたベルリンに「慰安婦像(平和の少女像⁉)」を設置したらしい。私は、いつも思うのだが、どうしてこんな“センスのかけらもない”彫像を世界のあちこちに設置するのだろう。そして、韓国にだって芸術家はたくさんいると思うのに、どうして誰ひとり「あんな非芸術的なものを…恥ずかしいじゃないか」と言い出さないのだろう。この芸術作品の一番“恥かしいところ”は、まず、芸術作品としては“見栄えが良くない”ことである。街中に置くものとしては、あまりにも“凡庸すぎる”ことである。なにしろ少女らしき女性が椅子に座っているだけで、特に“訴えかける表情”というものもなく、挙動もない。その横に“記念写真用”としか思えない椅子があるだけだ。“娼婦像”の横に“記念写真用の椅子”という配置もセンスに欠けているが、その意図が理解に苦しむ。なぜ、韓国は自分達の国の娼婦の横に座って「記念写真を撮ってください」と世界に主張するのだろう。しかも、いたいけな(⁉)少女なのに。私が、歴史的事情を知らない欧米人だとしたら「へんてこりんな芸術作品だな」と、まず思う。もちろん、今のご時世で“少女娼婦”の横に座って写真など撮ったら“セクハラ”とか“ロリコン”と言われかねない。とりあえず近づかないでおこう。そんな風に思うのが“普通の人達”ではないだろうか。それに、もう少し“見栄えの良い彫像”だったら、まず、その彫像に引き寄せられて鑑賞し、その後に記されていることを読み「平和」について考えるかもしれない。けれども、この彫像には、それがまったく無いのだ。例えば、ミケランジェロの彫像を観よ。彼もまた当時の社会や風潮に怖れおののきながら彫像を作り続けた。彼は、神に救いを求めて「ピエタ」と呼ばれる作品をたくさん作った。その、どれもが「ピエタ」だが、その実際の作品はそれぞれに違っている。特に私の大好きな「ロンダニーニのピエタ」は、通常の芸術作品としてみれば失敗作であり、未完成の作品である。けれども彼は「死ぬ数日前まで」それを作り続けた。若き日の「ピエタ」とは比べようもなかった。それくらい、可愛そうなくらいに、それは“ヘタクソ”なのだ。だが、神に「救いを求めんとする気持ち」が痛いほど伝わってくる。若き日の「ピエタ」は芸術作品としては完璧で、生命力にも満ち満ちている。何よりも芸術作品として美しい。それを知っていればいるほど、最期のピエタに、私は惹かれて行く。この神々しいまでの作品こそが、人の魂に訴えかけるのだ。

「気遣い」ある「善い人」が“危ない”

2020-09-28

今年になって芸能人の「自殺」が目立つ。三浦春馬氏、芦名星氏、藤木孝氏、そして昨日の竹内結子氏だ。いずれも、一流の芸能人で理由が今一つ判然としない自殺だ。さらに竹内氏の場合、小さな子供まで遺している。通常、女性が“小さな我が児”を遺して自殺するのは、よほどのことがあった時である。或いは、完全に“自分を見失っている”時である。とにかく、いずれの芸能人も、人柄が善く、気遣いのある人たちで「一見、幸福そうだった…」という共通点がある。さらに、その直前まで周囲すら「自殺する予兆を感じなかった」のも共通している。けれども、私は、ほんとうにそうだったとは思わない。あくまでも、第三者的に観ると「幸福そうだった」に過ぎない。表面上は周囲を気遣って、自らの“心の奥の苦悩”を見せなかったに過ぎない。私のところに相談に来る人の中には、性格的には“善い人”で周囲に“気遣いのある人”が多い。日頃は、自分の“胸の内”を周囲の誰一人にも見せていない方も多い。だから、第三者的に観れば「一見、幸福そうに見える」のだ。しかも、そういう人の多くは自分の悩みや苦しみを“抱え込む”ケースが多い。「人に話しても解決しない」と考える人が多い。けれども、話すことによって、自分自身をもう一度、客観的に見直すとか、心の中の整理を行うという効果はある。さらに、話すことで“悩み”や“苦しみ”を共有してもらえるという間接的な効果もある。そういう意味では、話すことは無駄ではない。但し、話す相手を間違えると“逆効果”となってしまう。特に、話を途中までしか聞かないで勝手に理解し、“自分なりの答え”を提示してくる相手に話すのは“逆効果”になりやすい。ところで、私は竹内結子氏について、以前、ココロニのコラムでも、ライブドアブログでも、それぞれ別の角度から占っている。ココロニの方は再婚前で《…結婚生活に邪魔者が入り込みやすい形です。男と女の違いにも悩みやすいことでしょう。(中略)家庭と仕事のバランスを取ることが難しく、私生活では意志と感情との間で葛藤し続ける形です…》と記しているし、ライブドアの方は再婚が報じられてすぐ《…お相手の中林大樹氏ですが、前夫・中村獅童氏と“惑星の配置”が似ているのです…》として、それが“息子から後押しを得た結婚”の最大の理由であるとした。“気遣い”は、時に「幸せ」を破壊するのだ。

「神様」にも「マスク」は必要だったのか⁉

2020-09-27

偉大なる建築家アントニオ・ガウディ氏の“没後100年”を記念して“完成”する予定であったスペインの「サグラダファミリア教会」がピンチを迎えている。新型コロナによって“工事中断”を余儀なくされている建設現場は、観光収入の方も激減していて、今後の建設費の調達に支障が出ているというのだ。そういえば、そうなのかと気付かされたが、この未完成の建築物の建設費用は“観光収入”で賄われているのだ。したがって世界中から観光客がやって来ないと成り立たない仕組みになっている。一応の“完成予定”は2026年に設定されていたのだが、予期せぬ災難のとばっちりを受けている。ただ、ここは普通の建造物ではない。れっきとした「教会」の建物なのだ。“神様の住まい”なのだ。だからこそ、ガウディ氏ならではの“奇抜な装飾”や“仕掛け”があちこちに施されている。そしてアウディ氏の“想い”を受け継いだたくさんの後進たちが建設に携わっている。現在、世界では3200万人以上が“新型コロナ”に感染し、そのうち100万人以上が亡くなっている。一時期下火となったヨーロッパでも、再び感染力を増して来ている。そういう中に在っては、実際に「サグラダファミリア教会」を観光する客が激減したのは当然である。神様も“新型コロナ”には負けそうなのだ。だからといって「マスクをつけた神様」というのは、なんとなく威厳がない。「神様って、意外と弱いんですね」と言われてしまいそうである。そういえば昨日、堀江貴文氏が何人かで飲食店を訪れ、マスク着用でなければ中に入れないということで、ひと悶着あったらしい。飲食店の場合、嫌でも食べる時や飲む時にはマスクを外す。そうであれば、客全員が無言で食べ続けるのでもない限り、来店時に“マスク”を着用していようがいまいが、実際にはあまり関係がないよう私には思われる。そういう意味では、堀江氏が疑問を抱くのは当然で、それを問いただしたとして問題があるようには思えない。マスク着用を“義務化”し過ぎるのは、いろいろな意味で問題ではないだろうか。

「嘘」はついていないような気が…

2020-09-26

女性同士がぶつかり合う場合、その気迫がすごいと、なかなか男性はその中に割って入れない。そうなりそうな対立の予感が国会の中で勃発している。自民党の杉田水脈(53歳)氏と共産党の田村智子(55歳)氏だ。杉田氏と言えば、かつてLGBTの性的少数者に対して「生産性がない」と批判したとして物議を読んだ人物である。それが今回は自民党の部会の中での発言で、どうして漏れたのか不思議なのだが「女性はいくらでも嘘をつけますから…」と発言したらしいのだ。もちろん杉田氏は女性なので、“自分も含めて”という意味で言ったに違いない。ところが、この発言に怒り心頭なのが何人かの女性議員たちなのだ。その筆頭に居るのが共産党の田村氏なのだ。差別発言として“二度目”でもあり、国会議員として許しがたいとして「議員辞職を求める」という意見もあるという。この“騒ぎ”は、週刊誌なども“飛びつきそうな話題”なので進展していきそうな気もするが、男性議員たちはどちらかと言えば「静観」しているように、私には思える。というよりも、どう“割って入れば良いか”戸惑っているようにも見える。大体、女性が男性よりも「嘘をつきやすい」「嘘が上手である」ことは世界共通して誰もが認めていることで、捉えようによっては“本当のこと”を言ったに過ぎない。しかも、女性自身が発言したのだ。“性暴力被害”をテーマとした部会だったらしいので、そういう場においての発言としては明らかに相応しくはないが、ただ“議員辞職”に追い込むほどの問題なのかは疑問だ。近年、さまざまな分野で「差別」とか「侮蔑」とか言うことが問題視される。特に、政治家の場合は公的な場ではなくても、ちょっとした発言や行動が問題視されることが多くなった。もしも仮に、この発言で“議員辞職”に追い込まれるようなことがあるとすれば、政治家は「本当のことを言ってはいけない」ということになる。「本当のことを言ったら辞職に追い込まれる」ということになる。極端なことを言えば、表面上「きれいごとしか言ってはいけない」ということになる。そんな人間を、いったい誰が信用するだろう。占い師でもそうなのだが、絶対にきれいごとしか言わない人物がいる。そんな人物が多くの人達から喝采を浴びているが、私は誰にも喝采など浴びなくて良いので、そういう「きれいごとしか言わない占い師」には死んでもなりたくない。

来るか「印鑑」が“不要”になる日

2020-09-25

新政権になって河野太郎行革大臣が「ハンコ不要」に取り組みだしている。もちろん、これは役所の“行政手続き”に限ってのことで、一般社会にまで強制する“簡素化”ではない。ただ、これまで一番「ハンコ」にこだわった“行政手続き”から実施することで、民間にも普及していくことは間違いがない。大体、印鑑というのは、東洋系の諸国で継承され続けていた“承認方法”で、私が好きだった「オスマン帝国外伝」では、この印鑑を押すシーンが多数登場した。占いの四柱推命においても、通変星に「印綬」という星名が出て来る。これは古代中国から伝わった印鑑制度で、厳密にいうと「印=印鑑」「綬=組み紐」合わせて“印章セット”のようなもので、昔は位の高い人しか印鑑を持つことが出来なかった。ただ日本以外の諸国は、近年、実質的な“印鑑認証”を認めない方向に舵を切っていて、正式書類などで何回も印鑑を押すのは日本くらいになっている。四柱推命以外でも、昔は印鑑そのものの吉凶を説く「吉相印鑑」というのが“大はやり”だった。新聞の全面広告を使って、どの印鑑を用いれば「幸運がやって来るか」などと誇大宣伝していた。ところが一番の儲けどころだった“象牙の輸入禁止”等があり、いつの間にか“開運印鑑”の人気も低迷、今では新聞広告もあまり見かけなくなった。印鑑だけで運命の吉凶など論ずることはできないが、日頃から印鑑を使う機会の多い人の場合、やはり印鑑による“吉・凶”は存在すると、私自身は思っている。ただ印鑑を使う機会の少ない人にとっては、人生を左右する書面でない限り、どの印鑑を使おうと、それで幸運や不運が訪れるようなことはない。日本の印鑑制度は、必ずしも“悪い面”だけがあるわけではないが、何人もの印鑑を必要とするような書類は、基本的に“簡単な承認”だけなのだから、いちいち印鑑を用いる必要はない。要するに、人生上大切な書面などの場合、サインと共に印鑑も加えれば、後になって揉めることがないような気が私にはするのだ。まあ、でも、ほとんどの場合は“印鑑不要”で良いような気がする。

元気があれば「脱獄トンネル」も掘れる⁉

2020-09-24

人間には簡単に世をはかなんで自殺してしまう人もいるが、たとえ“死刑囚”になっても、せっせと「脱獄トンネル」を掘り続ける人もいる。しかも、彼の場合には、それが“初めて”ではなかった。2017年にも一度トンネルを掘っての「脱獄」を試みているのだ。そうして、彼は脱獄に成功はしたのだが、残念ながら3日後には捕まってしまった。そこで、今回は、より遠くへの「脱獄」を考えた。前回の場合には、バスルームの壁はぶち抜いたのだが「刑務所の塀」を乗り越えるのが大変だった。そこで時間が掛ってしまったから、結局、塀の外まで逃げ出しはしたのだが、追っ手の“緊急手配”が早く、逃げ切ることが出来なかった。そこで、今回は黙々と作業を続け、地下に向けてトンネルを掘り続けて、みごとというべきか“下水道”までの30mを掘り進んだのだ。こうして彼は、下水道を使って地上へと逃げ延びることに成功したらしい。この作戦は、何よりも警察犬の“臭い”による方向確認を狂わせる。だから、どの方面に逃げたのかを突き止めるのに時間が掛る可能性が強い。元々彼は中国国籍でインドネシアに居住していたが、メタンフェタミン110㌔を不正取引したかどで“死刑”となっている。どちらかというと“知能犯”なのだ。ジャカルタ近郊にあるタンゲラン刑務所は、現在、犯罪人であふれかえっていて、監視の眼が隅々まで行き届かない。彼カイジ・ファン死刑囚は刑務所内で台所工事が行われた際の工具を使っていたことが判明している。もしかすると出入りの工事業者を上手く巻き込んだかもしれないのだ。そうだったとしても、30メートルの地下トンネルを一人で掘り進めるのは容易な作業ではない。まず私は、この人物の“生きる”ことに対しての執念と、或る種エネルギーのようなものに感動してしまう。もちろん脱獄は決して許すことのできる犯罪ではない。けれども、簡単に“生きる”ことを放棄してしまう人が多い現代、或る意味では“見習うべき点”も大いにあるような気が私にはするのだ。

「もう良いのでは…」と言いたい“極細ウエスト”

2020-09-23

世の中、いろいろな分野で「世界一」を目指す人はいる。アメリカのジョージア州に住む1児の母サミー・ウィルソン氏(26歳)は2年前まで、お世辞にも“美しいプロポーション”とは言えなかった。体重が89㌔もあったのだ。そこで、彼女は“美しいプロポーション”を目指しダイエットを試みる。そこで、まず一年近くかけて38㌔ダイエットに成功する。つまり理想ともいえる51㌔になったのだ。ところが、そうなってみると、今度はもっと挑戦したくなった。他の部分は良いのだが、ウエストだけを「もっと細くしたい」と思ったのだ。こうして彼女は昨年の4月から一年以上をかけて、理想的なウエストサイズ54㎝を手に入れた。ただ、それだけでは満足できず、ほとんどの時間は“きついコルセット”を着用したまま過ごしている。こうして、コルセットを着用することで驚異の“38㎝ウエスト”を保っているのだ。う~ん、素晴らしい努力。そして何より驚かされるのはコルセットというものが“見た目16㎝”も細く見せる効果があるということ…そのことの方に私は驚く。現在の「ギネス記録」はキャシー・ユング氏でコルセット着用で38㎝、外した状態で53㎝なのだそうだ。つまり、ウィルソン氏とほとんど変わらない。ちなみに古い記録の“世界最小ウエスト”は1939年に英国女性エセル・グレンジャー氏が打ち立てたコルセット着用33㎝、外して56㎝なのだそうだ。コルセットの威力たるや、ここでは“見た目23㎝”も細く見える効果を達成している。なお、自然なままで最も細いと思われるのは、現在ミャンマー在住の学生であるスー・ナイン氏(23歳)で、インスタグラマーとして“その雄姿”の34.8㎝を披露しているらしい。う~ん、みんなすごい。ちなみに最初のウィルソン氏は、あと2.5㎝くらい細くして「ギネスに載りたい」そうだ。学生ナイン氏の方はギネスには興味なく、さまざまなファッションでインスタグラムの載せて、ちやほやされるのが好きらしい。有名人では、昔フランス人でポレールという女優が33㎝と公称していたらしい。とにかく、これらの記録を見ると、どんなに頑張っても、その辺りが限界らしいので、決して「ギネスに挑戦しよう」となどは思わないように…。

「健康・余裕」の百歳なら良いのだが…

2020-09-22

なんとなく北海道のニュースを眺めていて「敬老の日」に北海道だけで100歳以上のお年寄りが3867人もいると知って、その数の多さに驚いてしまった。昔は“百歳以上”というのは本当に稀で、文字通り「長寿」だったが、北海道だけでそんなにいるのかと思うと「少子高齢化」の“怖さ”の方を強く感じる。ただ、そんなにいるのに男性は501人だけなのだそうだ。つまり3000人以上は女性なのだ。う~ん、これはどういうことなのか。高齢になると女性の方が心身とも逞しくなるからなのか。そういえば、デパートなどに行っても、女性と男性の比率は明らかに違っていて、圧倒的に女性の数が多い。しかも、女性の方が健康そうである。私は思うのだが“独り暮らし”になった時、女性は、通常の生活を続けられるが、男性はなかなか“これまで通り”の生活は続けにくい。それに、男性の方が“精神的に弱い”のではないか。特に、会社組織の中で長年働いて来て、定年などで急に仕事から解放され“役目を終えた”意識が強い男性ほど、空虚感が強いような気が私にはする。それに加えて“妻”まで亡くなってしまうと、もう生きる気力のようなものが乏しくなってしまうのではないか。そういう意味では、元々独身で生きてきた男性や、自営業で“定年”というものがなく、細々でも仕事を継続していると、それに引っ張られる形で“生命を保つ”ということはあるような気がする。そういう点では、趣味の乏しい人の方が、仕事を失った後の気力が失われやすい。趣味というと、大げさなものを想定する人がいるが、要するに心身を“打ち込めるもの”ならなんだって良い。人間は“好きなもの”や“気に入ったもの”と触れ合っていれば、黙っていても“命の泉”が湧く。そういう風に出来ているのだ。逆に“嫌いなもの”や“厭なもの”と一緒だと“命の泉”が枯れていく。だから、そういう意味では人でも、モノでも、“好き”になりやすい人の方が、“嫌い”になりやすい人よりも“長生き”しやすいともいえる。何かを“好き”になって、夢中になっていれば、長寿で居られる可能性が高いのだ。もっとも、長寿であっても経済的に余裕がないと、人生を愉しめない。そういう意味では、同じ百歳でも、健康で暮らしに余裕のある百歳が増えると良いのだが…。

続々と発見される「未開封の墓と棺」

2020-09-21

このところエジプトでは「墓」や「棺」の“発見”が続いている。それも古代エジプトの古王朝時代に埋葬地として有名だったサッカラの地から相次いで発見されている。9月なって発見された13基の棺は、なぜか積み重ねられていたのだが、いずれも未開封のまま2500年間、眠っていた棺だ。最近はそういう発見が多くて、4月に発見されたミイラ棺4基も未開封であったし、石棺5基も未開封だった。5月に発見された「ミイラ工房」は、古代エジプトのミイラの製造法を知る貴重な史料となるだろう。この地では第5王朝の墓地が多く発見されていて、2018年にはネフェルカラー王神官の墓が見つかり、2019年にはジェドカラー王高官の墓が見つかっている。これらの墓は手付かずのままであったため、その当時の色鮮やかな色彩のレリーフや彫像が、そのままの姿で保存されていた。これまでも第5王朝の墓などは見つかっているのだが、手付かずの状態で発見されることが少なかった。特に、王そのものの墓はかならず盗掘されている。古代エジプト人の奇妙なところは、強固な「来世信仰」を持っているにもかかわらず、平気で既に亡くなった王の墓を荒らし盗掘することだ。それも一般庶民ならまだわかるのだが、高官とか王族とか、王自身とかが指揮をとって、盗掘を行う。例えば、一時代前の王のピラミッドに使用された石を、自分のピラミッドに使用したりする。実に奇妙な精神構造なのだ。ともかく、そういうことで、今年は古代遺跡発見の“当たり年”であるから、もっと“大きな発見”があっても良いような気がするのだが、一時期、期待されていた「ツタンカーメン王墓の隠し部屋」は、存在していなかったと、小さく報道されている。

早期の「画像公開」が“発見”に繋がった

2020-09-20

千葉県習志野市で9月10日から“行方不明”になっていた中学3年生の少女が19日に無事発見・保護された。最近は“行方不明”となっても、早期に情報公開や画像公開した場合には、その多くが発見・保護されている。日数が経ちすぎている場合、情報が少なすぎる場合、画像を公開していない場合には、見つかるケースが少ない。現代はほとんどの人がスマホ・携帯を持ち歩いているので、情報が行き渡りやすい。今回のケースでも、情報公開したその日のうちに24件の情報が寄せられ、同一地域での目撃情報が多かった。そこで習志野市の警察署は90人体制で一斉捜索を掛け、無事、大型商業施設内に一人で居た少女を発見・保護できたのである。昔から“行方不明者”に対しては、各警察署の対応が大きく異なる。事件の可能性を察知してすぐ動いてくれるところもあるが、家庭内の問題であるとして本格捜査したがらない警察署も多い。今回の場合でも、早い段階で「画像公開」したから発見できたが、もしも“画像公開”や“情報公開”をためらっていたなら、発見できていたという保証はない。一つには警察には「管轄」という問題があって、自分の管轄外の捜査を行いにくいからである。今回のように管轄外でも、外部からの確実な情報が多く寄せられると捜査に着手できる。そういう意味でも、今回の情報公開の意味は大きかった。おそらく、こういうものは管轄内での署長が最終的に「OK」を出すかどうかに掛かっているような気がする。現代は「早期公開」さえしてしまえば、自宅から外出して後の“中学生までの行方不明”であれば発見できるような気がする。日数が経つと、人の記憶はあいまいになるし、十代の少女は“変身してしまう”可能性も高い。事件性があるかないかの判断も重要なのだが、後になって家族や関係者が必死に“ビラ配り”などしている姿をTV等で見ると、やはり多少微妙な状態でも“情報公開”はしてあげた方が、発見・保護できるケースが多くなるような気がする。

5億4000万円「金券ショップ」も加担している⁉

2020-09-19

2014年~2016年のわずか2年間の間に5億4000万円分もの切手が「金券ショップ」で換金されていたことが明らかとなった。それも換金したのは、東京の芝郵便局と神田郵便局の当時“課長”と“課長代理”という本来なら“管理すべき側”の人物たちである。いや、多分、“管理すべき側”だったから出来た犯罪である。郵便局にとって「切手」というのは生命線ともいうべき存在なはずである。それによって成り立っている事業だからだ。それなのに、その“聖域”ともいうべき部分を自らが持ち出すというのは、信じがたい。それも一度や二度でなく、多分、何十回にもわたってのことなのだ。なぜなら、彼らが持ち出した“切手”というのは「料金別納郵便」で“支払われる切手分”なのだ。つまり、実際には「消印」は押されていないが、帳簿上は“処分済みの切手”ということになる。日本郵政の仕組みがよく解からないが、おそらく、現場における最高責任者である彼らが、未使用の切手を受け取り、その代りに決済の印鑑を押して、経理に渡す仕組みではないかと思う。通常、それらの切手はすぐに“破棄される”に違いない。もっとも、未使用の切手であるから、確かに「金券ショップ」へ行けば換金してもらえる。ただ、私は、二人の課長と課長代理とが同時期に同一手口で犯罪を行っている点を考えると、接触がなかったとは思えない。そして、奇妙なのは金券ショップに何十回も通って行けば「おかしい」と思われないはずがなく、もしかしたら、それを“黙認・加担・指南”した「金券ショップ」の経営者がいるのではないか、ということである。そうでなければ、何十回も通うとか、大金分を換金するとか、どう考えたって尋常ではない。もしかすると、彼らに働きかけた人物がいるのではないか。郵便局に永年勤めて、課長にまでなって、自ら“切手を換金しようとした”とするなら、あまりにも幼過ぎるし哀しすぎる。

作る「銅像」間違えている“お粗末”芸術家

2020-09-18

有名人が、その生れ故郷に彫像や銅像を建てられることは珍しくない。そのほとんどは、その街の“誇り”として、記憶に遺したいから建てられる。ところが、たまにはまったく別の目的から、彫像や銅像を建てられることがある。アメリカ大統領トランプ氏の妻メラニア氏の銅像が、その故郷である中欧スロベニアのセブニツァに9月15日、お目見えした。制作したのは芸術家のブラッド・ダウニー氏である。その画像を見れば、おそらく誰もが「えっ、これなの?」と驚く。まず、第一に、誰なのか全くわからない。「似てる」とか「似ていない」とか以前の問題である。よく、これを公開することを“その街”が認めたな、と思うような作品なのだ。実は、ダウニー氏はこれが二度目の制作なのだ。一度目は木像の作品だったのだが、それは放火されてしまった。そこで、今度は“放火されない”よう銅像にしたのだ。銅像の夫人らしき彫像は片手をあげている。それが何を意味するか解からないが、どう視てもメラニア夫人には見えない。よくよく訊くとダウニー氏は、夫人を称えようと故郷に銅像を建てたのではない。等身大だという銅像だが、ほんとうは夫人ではなくトランプ大統領に文句があるのだ。トランプ大統領の“移民政策”に対し「反対している」ことの意思表明として、この銅像を制作したというのだ。つまりは、メラニア夫人には何の関係もない。大統領の下した政策に対して、その夫人を“揶揄するような作品”を作ることで、その意図を反映させたいという“面倒な銅像”なのだ。この芸術家はいろいろな意味で間違っている。もしも、トランプ大統領の政策に対して反対したいなら、トランプ大統領の故郷で行えば良い。わざわざメラニア夫人の故郷で活動する意図が解からない。彼女には何の“罪”もない。最初に木像を作って燃やされたのは、その作品が街に遺したいような“芸術品”となっていなかったからだろう。それにも懲りず、今度は銅像で“燃やされない”ようにするというなら、もっと“誰なのか”くらいは、すぐ解かるよう制作すべきだ。そして、もっと“楽しい風刺”をこめれば、芸術作品として受け入れられたかもしれない。街としては、こんな“ヘタクソな銅像”を建てられても、しかも、樹の切り株の上に建てられても困惑するばかりだろう。

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