5月, 2020年

汚れ無き「日本人」&厚かましい「逃亡者」

2020-05-31

今年は、いろいろな意味で「日本人」と「外国人」との“違い”を、さまざまなところから感じさせられた。その典型はカルロス・ゴーンという人物である。日産の元会長であり、ルノーの元会長でもあった人物だ。彼は現在、容疑者として収監されていたところから抜け出して、“逃亡中の身”である。謂わば「逃亡者」だ。その逃亡者が、フランスのルノー社に対して「退職金」としての“3000万円を要求・訴訟している”ことが明らかになった。よく「逃げも隠れもしない」という言葉があるが、日本の法律が及ばないところへと居住し、何不自由のない生活をしている。まるで、昔の“ギャング映画のボス”のようだ。そして、逃亡中の身でありながらも「退職金」を要求する。う~ん、何たる度胸。まあ、自分自身は「日産の幹部連中に嵌められた」と思っているようだから、悪びれていないのは当然だともいえる。ただ日本人なら、たとえそうであっても、逃亡者の身で「退職金請求」を行うようなことはしない。ますます「強欲な印象」を与えて、イメージが悪くなるではないか。ところが、真の合理主義者は、日産の問題は日産の問題、ルノーの問題はルノーの問題、という風に考える。私は直接訊いていないが、多分、そうだ。但し、彼の主張にも同意する部分はある。先日、日本の方の日産における2020年3月期の決算が発表されたが、6712億円という巨額赤字となった。もちろん、今年の場合は“コロナ騒動”も含んでいるから、さらに日産の場合は当然のことながら“ゴーン騒動”も含んでいるから、赤字転落は仕方がない。ただ、その赤字額が巨大すぎる。“リーマンショック時”でさえも、今回の三分の一くらいの赤字額であった。いかに今回の赤字額が突出しているかが分かろうというものである。さて、もしも、ゴーン氏が現在も日産の会長でいたなら、これほどの“赤字決算”を生じさせたであろうか。確かに、ゴーン氏のやり方には“問題”があった。そのために“追放”されたのだ。但し、彼が日本に来て、傾いていた日産を立て直し、素晴らしい業績へと転換させた事実は、事実として認めなければならない。日本人の多くは「汚れなさ」の方を取る。私も、どちらかと言えばそうだ。けれども“厚かましく要求する”人種・民族は、どこまでもたくましく生き延びていくのかもしれない。

習近平主席とトランプ大統領にも「冷却期間30日」を⁉

2020-05-30

昨日、中国の全国人民代表大会において「民法典」が可決・成立した。その内容は、中国では夫婦間で「離婚届」を出そうとした場合、“30日間の冷却期間”を待たなければ受理されないよう法改正したもので、来年1月1日より施行される。この法律の成立に対し中国版ツイッターでは「離婚の冷却期間に反対」という投稿の閲覧数が2500万回に達したらしい。どうして、このような法律を定めたのかというと、少しでも離婚を防ぎたいからだ。近年、中国では女性の社会的進出が著しく、夫をあてにしない女性が多くなって、その結果なのか離婚数が急増している。それに“歯止め”を掛けたいのだ。ただ、日本人の感覚として解からないのは、役所に「離婚届」を提出した後、すぐに受理されない場合、二人の生活をどうするのか、気になるところだ。例えば、その後の一か月間を“一緒に暮らせる”夫婦であれば、最初から離婚しないような気もするのだが…。確かに、中国人は日本人に比べて何事にも反応が早い。或る意味で“性急な民族”である。だから、そういう点では、他人事ながら、そうした方が良いような気がしないでもない。「すぐに反応する」という点で言うと、中国の習近平主席とアメリカのトランプ大統領も、反応が早い。この二人、夫婦ではないが“相性が悪い”のか、常に火花を散らしている。互いに一歩も譲らない。まあ“ライバル同士”というものは、どうしてもそうなりやすいものだが、この二人と何となく“仲良く(?)”出来ている金正恩氏は、或る意味すごい。まあ、習近平主席もトランプ大統領も、よその国に対して威圧的で“すぐ喧嘩する”から、性質的には似ていて「喧嘩するほど仲が良い」と観ることも出来そうな…やっぱり出来なそうな…。お互いに直ぐ反応してしまうのは間違いないので、やっぱり互いの発言に「30日の冷却期間」を定めてから、公にするような形に変えてしまった方が、ぶつかり合わなくて済むような気がする。

「神秘思想」が“犯罪化”する時

2020-05-29

大昔から変わっていないことの一つに、信仰とか、呪術とか、占いとか、心霊とか、特殊療法とか、精神世界とか、超能力とか……その人の“日常”とは切り離れたところに位置する「思想」は、徐々にカリスマ化され、いつの間にか集団となり巨大化していくうちに、本来の姿を忘れてしまう。やがて、それは暴走化し、“犯罪集団”にまで変わっていくことが少なくない。その典型が、かつての「オウム真理教」だった。あの集団も、巨大化し過ぎておかしな方向へと進んでいってしまったが、本来は“ヨガ仲間集団”にすぎなかった。「精神世界」に惹かれる“ヨガ集団”は、実のところ世界各地に居て、多くの場合は“平穏”に暮らしている。ヨガの思想それ自体は、決して悪いものではない。ただ古代、或いは中世から続く神秘思想には、その時代独特の時代背景というものがあり、それをすべてそのまま引き摺って信じ込んでしまうと、大きな間違いを犯す。「オウム真理教」の根本思想は、ヨガ思想(ヨガ仏教思想)というよりも“ヒンズー・バラモンの思想”に近く、それも古典的というか、原始的というか、ごちゃまぜというか、現代の日本にそのまま当てはめるのはムリな思想だった。けれども、暴走化する集団に必要なのは、何んと言ってもカリスマな教祖、及びカリスマな教義であった。その点、バブルに向かうという時代背景も手伝って「オウム」は未成熟なまま急速に膨れ上がっていった。やがて海外進出ももくろみ、そのもっとも効果的な地点として脚杖を築いたのがロシアであった。ソ連崩壊後のロシアは、精神的荒廃が進んでいた。こうして「オウム」の第二の拠点はロシアとなって、その信仰者数を増やし始めていた。もちろん、その母国である日本では「オウム真理教」は“犯罪集団”として長きにわたって断罪された。けれども、ロシアではそうではなかった。なんと地味ながらも確実に、その信者数を増やし始めていたのだ。もちろん、ロシアでも「犯罪テロ集団」として警察の監視下にある。ミハイル・ウスチャンシェフは2018年5月に市民を勧誘中に逮捕された。逮捕容疑は日本の幹部に対して信者から集めた資金1億3500万円を渡したことにある。彼は、未だに「麻原彰晃」の巨大パネルを掲げて祈りを捧げている。既に教祖は処刑されたが、今だ密かにカリスマとして海の向こうでは祈られていたのだ。

「医療従事者」だけの“特別待遇”には疑問⁉

2020-05-28

世間というのは、時として“一方向”を向きがちである。例えば「医療従事者」に対しての扱いだ。特に“新型コロナ関係”の医療従事者に対して、世間はここ数ヶ月“畏敬の念”を向けるようになった。そのこと自体は、大変に良いことである。それに付随して、それ以外の医療従事者たちに対しても、さまざまなところから支援金が寄せられる事態にまでなっている。それに対しては、若干の疑問がないではないが、まあ悪いことではない。ただ私が思うに、似たような仕事、似たような状況で働く人たちというのは、たくさんいる。少しマスコミも、世間も、行政も、偏り過ぎているのではないだろうか。もちろん、それら従事者たちのお陰で、たくさんの命が救われ、日本が“最悪の事態”から守られつつあることは事実である。したがって、医療従事者を優遇しようとするのは理解できる。かつて「医者だけが儲かっている」と、さんざんマスコミから叩かれていた時期があるだけに、今回は逆に“見直された”わけで、そういう意味では善い時代に巡り合ったともいえる。ただ、それに似たような分野、例えば介護施設の職員、老人ホームの職員、葬儀関係の職員、肢体不自由児施設の職員、清掃会社の職員、最前線にいる自衛隊員、刑務所の職員、ホームレス支援団体の人々、子ども食堂のボランティアの人々、麻薬捜査官、児童養護施設の職員……見えないところで、日々「命」や「生きる」というものと向き合いながら、懸命に職務を果たしている人たちは山のように居る。医療従事者たちはそれなりの報酬も得られるが、ここに記したような職種の人達は決して優遇されていない。それでも、日々懸命に職務を果たしている。別に、これらの人達を称えよとか、脚光を当てろと言うつもりはない。けれども、そういう人達に、特別の“報奨金”が与えられたという話は聞いたことがない。「医療従事者」だけを優遇しすぎることに、納得のいかない気持ちを持っている職種の人達がいることを気付いてあげるべきだ。

摂津市の「凡ミス」を日本中に知らしめた

2020-05-27

“お役所仕事”というのは融通が利かないことが多いものだが、その代り「間違いはないもの」と誰もが何となく認識している。ところが、その“お役所仕事”に「凡ミス」が発生した場合、だれが責任を取るべきなのだろうか。今回の場合は「摂津市」の“税務担当者”による凡ミスなのだが、その採用者や監督責任者も含めて「摂津市役所」全員の“連帯責任とする”のが妥当なような気がする。例えば、あなたが自分の銀行口座に役所から「配当割額及び株式等譲渡所得割額」という長ったらしい名目での“還付金”が1667万5577円振り込まれていたとしたら、それは「金額的に間違っている」とすぐに気付くだろうか。おそらくだが、この名目だと、親が亡くなって、その株式が本人に譲渡され、その結果としての“還付金”だと思われるのだ。そうだとすると、よほど税務に精通でもしていない限り、いくらの還付金として戻ってくるのかなど解からない。したがって、1667万5577円という金額を“妥当なもの”と理解するのは不思議ではない。たまたま、この方は自分自身に“借金”があり、しかも自分の株式でも“損失”を抱えていて補填が必要だった。そこで、入金されたお金は数ヶ月で無くなってしまったらしい。さて、役所から入金されて1年3ヶ月もの年月が経ってから、突然、その役所の方から「あれは入金間違いでした」と連絡が入った。そうして、入金間違いについては詫びるが、その“差額分”に関しては「変換して頂きます」という要求なのだ。請求された本人は現在「年金暮らし」である。もちろん、入金された“お金”は既に無い。男性が「頭の中が真っ白になった」というのも無理はない。彼の代理人弁護士によれば、これは確かに違法な取得金に当たるが、返納請求された時点ですべて使い切ってしまっていた場合、それでも返還しなければならない義務はないと言う。本来の還付金は、165万5577円なので、確かに1500万円“多過ぎた”のだが、紛らわしい数字ではある。しかも、この発覚は、摂津市の税務をチェックし直した大阪府からの指摘によるものだった。だから「摂津市役所」全員の“連帯責任”だと私は思うのだ。「提訴も検討中」だと言うが、提訴の前に“再チェック”の重要性を浸透させた方が…。

「メロン」と「芸人」の“怪しい価格”

2020-05-26

物事は何でも“需要”と“供給”の関係から、その「価値」というものが定まってくる。だから多くの場合、その“価値”として表示されている価格はおおむね正しい。けれども、中には“明らかにおかしい”と感じられる「価格」が表示される場合もある。例えば「メロン」の“初セリ”の価格だ。昨日、札幌の中央卸売市場で「夕張メロン」の“初セリ”が行われた。実は昨年「夕張メロン」は、ここで“二玉500万円”という驚くべき“ご祝儀価格”が付けられた。どうしてそんなに高いのか、また高くても買う人がいるのか、理解に苦しむところだが、実際にそういう価格で取引が成立していたことは間違いがない。さて、今年はどうだったのかというと、何んと“二玉12万円”だったのだ。何んと昨年の“十分の一”にも及ばない。まあ、考えてみれば、いくら高級メロンと言っても、単なる果物で“二玉12万円”でも十分に高い。昨年までの価格が“異常”だったに過ぎない。世の中、そういうものはたくさんあって、例えばTV番組の「ワイドショー」とか「バラエティ」とかに出て来る“芸人”もそうである。一体、なぜあんなに多数の“ひな壇芸人”を並べなければいけないのか知らないが、とにかく、どんな番組でも“芸人”が出て来ていた。なぜかプロのアナウンサーではなく、芸人が“番組進行係”まで務める。とにかく、似たような芸人が毎日、入れ替わり出てくる。たくさん出てくる。それが“当然”のように番組作りが行われていた。もちろん、それだって“需要”と“供給”の関係から形作られた仕組みなのかもしれない。けれども、今回の“コロナ騒動”は、TVから“三密”を助長する芸人たちを追いやった。別にTVに“芸人”が出ていなくても、それなりの視聴率は稼げることを制作サイドは知ったことだろう。“売れている芸人”は値段(出演ギャラ)が高くなる。別に、そういう人を使わなくても、必要な番組であれば大衆は視聴してくれる。少なくとも「夕張メロン」のように“正常価格”に戻すことは出来る。占い古書の価格などもそうなのだが、時々べらぼうに高い価格が付けられている。私の著書などでも何万円もしたりする。もちろん、それが売れたからと言って、私には1円も入らない。どの業界であっても、もう少し“適正価格”を普及させる取り組みも必要なのではないだろうか。

「見切り発車」でも“取り残される”人々

2020-05-25

いよいよというべきか、予定では今日5都道県の「緊急事態宣言」が解除される。厳密にいうと、神奈川と北海道とは本来の“解除規定”からは外れるのだが、多分、一緒に解除される。実際には、もう“経済面”が限界に来ているからだ。いくら、行政が手厚くカバーすると言っても、すべてをまかなうことなどとてもできない。あちこちから悲鳴が上がっていて、これ以上の“自粛要請”は政府や自治体そのものの首を絞めかねない。実際には、だから「見切り発車」でOKを出すのだ。ただ世界的に観れば、日本の見切り発車など“可愛いもの”で、欧米の「見切り発車」は、本当の見切り発車で、だから“封鎖”していた割に感染者数はまだまだ急減していない。日本は“だらだら型”なので一気には減っていないが、元々それほど多いとは言えないのだから、それなりの成果は出ていると言える。少なくとも、一時期心配されたほどには蔓延していない。日本人は基本的には“公共のルール”に敏感なので、“規律に飛んだ国民性”がプラスに働いたと言える。既に“自粛解除”となっている京都・大阪・兵庫の三府県の“コロナ騒動”に起因する負債額1000万円以上の倒産件数が27件であったと報告された。観光関連産業が圧倒的に多く、その経済的損失は7000億円に達するとも言われている。三府県だけでもそうなのだから、全国合わせるとどのくらいになるのか、多少、見切り発車でも“解除”してしまいたくなる気持ちがわかろうというものだ。こういう場合、よく「人命と経済とどちらが大切か」というようなことをいう人がいるが、間違いなく両方大切なのだ。経済が枯渇すれば、飢え死にする人が出てくる。つまり「人命」が失われるからだ。病気になってだけ、人命が失われるわけではない。“飢え死に”しないまでも、職場を失い、住居を失い、未来を失う人が出てくる。病気の人も救わなければいけないが、職場や住居を失った人も救わなければいけない。少なくとも、行政というのはそういうものだ。ただ、全国的に“自粛解除”がなされたことで、すべての業種が“元に戻った”と言えるかというと、そうではない。まだ、海外からの渡航者に関しては“制限”が掛けられているからだ。実際、こちらの方は、そう簡単に外すわけにはゆかない。日本の場合、訪日客によってもたらされたものが圧倒的なので、まだまだ海外では拡大中であるから、その部分の規制は外すわけにはゆかない。つまり、訪日客によって成り立っていた職種は「見切り発車」から取り残される。それらの人達をどう守っていくか、それが今後の課題となっていくだろう。

ネットの「誹謗・中傷」本名を公開すべき‼

2020-05-24

スターダム所属の女子レスラー木村花氏が22歳の若さで死去した。ネット上で愛猫に“別れを告げる”写真投稿を遺しての死去となった。男女間のリアルなシェアハウス生活をドキュメント化する番組「テラスハウス」に出演中でもあった。日本人の母とインドネシア人の父との間に産まれ、母親も女子レスラーとして活躍していたので、デビュー当時からスターの素質を持ち、アメリカでも活躍できると期待されていた女子レスラーだった。本職のプロレスで悩んでいたのではなく、出演していた「テラスハウス」における言動が、視聴者からSNSで多数の誹謗・中傷を浴び、生きていく意味を見失ってしまった…。近年、SNS上の誹謗・中傷が狙われた人の心身を破壊していくケースが多くなっている。人間というのは「見える敵」は防御できても「見えざる敵」には打つ手がないので脆いのだ。肉体的な脅威には強いレスラーも、精神的な脅威には、ましてやそれが“見えざる敵”であればなおのこと、あっけなく崩れていく。その“見えないこと”を良いことに、誹謗・中傷で襲い掛かってくる輩たちがいる。私などでも、たまにネット上でこき下ろすような不届き者がいる。私は、だから無記名で何か言ってくるような人物には、必ず「名を名乗れ‼」と言う。江戸時代、市中において背後から切り付けて来るような輩に対して、剣豪は必ず「名を名乗れ‼」と、まずは応じた。そうすると昔の武士達は、必ず、名を名乗って、同時に襲う理由も述べて、それから再び切り付けて来る、という悠長なことを行った。けれども、考えてみれば、日本らしい“潔さ”が感じられる一コマでもあった。今日のSNSでも、日本でなら、日本人ならば、このような形で“決戦する”くらいの“潔さ”は残っているのではないだろうか。そういう風に、日本では取り決めてしまえば、今後、無意味な誹謗・中傷、及び悪意ある誹謗・中傷は減っていくのではないだろうか。よく、SNSにおける“口コミ”を無記名だから本音で言える、という人がいるが、無記名だから“嘘もつける”し“傷つけても”罰せられない。書かれた方は、それを否定しても信じてもらえないケースが多いのだ。特に、社会的に“力を持っている存在”が、“力を持っていない者”の言動を押しつぶそうとするとき、数の力によって“抹殺”を計るのに無記名は都合が良いのだ。そういう意味でも、無記名の誹謗・中傷を野放しのままにしておいてはならない。

「都知事選」を盛り上げる堀江氏の立候補⁉

2020-05-23

元ライブドア社長で現在はいろいろ手掛ける堀江貴文氏の動向が注目されている。「都知事選」に“立候補する”ともっぱらの噂なのだ。本人は何も言っていないので「N党」の“話題集め”という見方もある。ただ堀江氏は今月末に『東京改造計画』という本を出す。この題名が、かつての首相・田中角栄氏が出した『日本列島改造論』と似ている。都知事を目指していないなら、実質的に改造するのは難しいような…。したがって、ただ単に“噂”だけが先行しているというのでもないらしいのだ。もっとも、堀江氏のような“型にはまる”のを嫌う人物が、政治家に向いているかというと話は別で、向いているとはとても言い難いが、面白いことは面白い。但し、この人の言葉遣いだけは決して褒められたものではない。特に、弱者やお年寄りに対しての言動には、批判を浴びやすい要素がいっぱいで、仮に政治家となっても、長続きできるかは疑問としか言いようがない。もしも、実際に立候補したなら、当選するだろうか。昔、広島で立候補した時には亀井静香氏に僅差で敗れた。弱者やお年寄りに対して配慮を欠く部分が直らないと、票は伸びないだろう。ただ私は、アメリカのトランプ氏のような強烈な個性の持ち主に対しては、堀江貴文氏のような強烈な個性の持ち主の方が、“対等に話が出来る”という点で興味がある。この人の持っている“ぶしつけな部分”は、近年各国で誕生している強烈なトップたちと比較しても引けを取らない。それともう一つ、現在のように経済が低迷している時には「財運の強い」政治家が必要である。財運の乏しい政治家は、人気は得られるかもしれないが、日本の経済そのものを強力に押し上げてはくれない。そういう意味では、かつての堀江氏には、日本に“夢”を与えてくれるすがすがしさがあった。けれども、どういうわけか、刑期を終えて以後の堀江氏には、その言動にやや“ダークな部分”が見え隠れする。その部分が、私にはいちばん気になる。今度の『東京改造計画』にも「現金などというものは使わせない」という極論が述べられている。彼の言わんとすることが解からないわけではないが、その言葉が、どれだけお年寄りたちに恐怖を与えるか、考えてみる頭脳も必要なのだ。

日本が防ぐべき「三つの凶災」

2020-05-22

今年は地球環境にとって稀に見る「凶災の年」である。私が以前から述べていたように、どんなに“大きな出来事”であっても、人が日々興味を抱き続ける期間というのは、そう長くは続かない。だから私は今年2月の時点で、“新型コロナ騒動”は4カ月後くらいが限度で、それ以降になれば、つまり6月くらいになれば徐々に人々の興味は“新たな事件・出来事”へと移っていくだろうと述べておいた。そういう点では、その通りの展開で収束に向かうのは良いことなのだが、やっかいなのは「次」に何が来るかなのだ。実は昨日の“世界のニュース報道”の中で、私の“予知本能”に警告を促す三つの出来事があった。その一つは、インドを襲った“巨大サイクロン”のニュースで、日本で言う「台風」と同様のものだ。インドのオディシャ州や西ベンガル州を襲っているサイクロンで300万人が避難し、84人の死亡を確認したと伝えている。その一つはアメリカ・ミシガン州からの報告で、豪雨によって二つのダムが決壊し、その濁流がミッドランド市中を襲っている。一気に3m以上の水が流れ込む可能性が高く4万2000人の住人に避難命令が出されている。その一つはパキスタンからのニュースで、アフリカからやって来たバッタの大群が農作物を食い荒らしていて5470億円もの被害をもたらしているというのだ。その繁殖力はすさまじく、脅威を感じるほどの大群移動である。これら三つとも、私が前から言っている「防ぎようのない自然災害」に属する。けれども、前もって、それに備えておくことは可能だ。これらの中で、日本にもっとも起こりやすいのは台風による集中豪雨かもしれない。けれども、実はいちばん怖いのは「バッタの大群」のような気がする。日本の場合、アフリカやパキスタンとは気候や自然条件が異なるので、よほどのことがない限り「バッタの大群」が繁殖するということは有り得ない。けれども、それで言うなら、今回の「感染症」だって、日本は島国で隣国と隔たっているので「感染症は心配いらない」と言われてきたのだ。ところが、実際には海外から持ち込まれてしまうと、あっという間に自国の中でも波及していった。だから、バッタの大群に関しても油断は禁物なのだ。今から「備えあれば患いなし」という風な感じにしておかないと、泣きを招くかもしれない「三つの凶災」なのだ。

「鬼滅の刃」を抑えて「マンガ大賞」を得た作品

2020-05-21

5月21日から熊本市現代美術館で再開されるのが漫画家・高浜寛氏による“企画展”である。元々、文化庁メディア芸術祭漫画部門優秀賞を受賞して2月22日に始まった“企画展”だったが、途中“コロナ騒動”で休止となっていた。ところが、その休止となっている最中に「手塚治虫文化賞マンガ大賞」を受賞するという名誉があった。しかも、受賞した『ニュクスの角灯』という作品は、現在、爆発的に売れている『鬼滅の刃』という作品を抑えての受賞であった。元々、この人は海外での評価が高く、その作品のほとんどがフランス語に翻訳されている。大学卒業後に、どの企業からも採用されなくて、やけくそのような形で描いた漫画から話が進んで漫画家になったとは思えないような栄光と言える。だから「運命」というのは解からない。人間には、幼い頃から定まっていたかのように“その仕事”に向かっていく人もいるが、そうではなくて、いつの間にか“運命の糸”に導かれるような形で“その仕事”をやらざるを得ない場合もある。技術を伴う仕事だからと言って、必ずしも優秀な技術者が“世間的に評価される”作品を生み出すとは限らない。技術ではない何かが、人々を惹きつけることもある。いつの間にか“歴史的なもの”に題材を求めるようになった高浜寛氏は、もしかしたら歴史に埋れていった人々の“生きていた証し”を描くことが使命となったのか。“日本のマンガ”は、今や“世界のマンガ”となったが、日本と日本人を、世界に理解させる最も効果的な方法として、マンガ世界の中に“日本の歴史物語”を取り込むという方法があるような気がする。世界的大ヒットとなった『鬼滅の刃』も、元々は日本の昔話を現代的に脚色した作品らしい。考えてみれば、マンガの場合は時代というものを超越することが出来る。言葉の壁も“雰囲気”としてうまく乗り越えられる。時として“日本語の普及”にも一役買っている。昨日発表された4月の訪日外国人の数は「2900人」という人数だった。もちろん、ストップをかけているのだから、ビジネス客以外は来なくて当然だが、それにしても驚異の落ち込みである。これを再び「観光日本」に戻すのは容易ではない。漫画やアニメが果たす役割と使命は、そういう意味でも大きいのだ。

新たな「温泉」が誕生するかも…⁉

2020-05-20

同じ地震でも「震度4」と「震度5」とでは、ニュース報道の扱いが異なる。「震度4」までは“地元のニュース”に留まることが多い。けれども、それが何回も続いて発生するとなれば、話は別だ。長野県と岐阜県との県境付近で、このところ体に感じる地震が異様なほど連続して発生している。地震学で言う「群発地震」と呼ばれるものだ。4月22日から昨日まで130回以上も発生している。昨日の昼過ぎに発生したものは高山市で震度4、飛騨市で震度3だった。一日に何回も身体で感じられる地震が発生すれば、誰でも、そのうち“大きい”のがドカンとやってくるのではないか、と不安になる。ところが、専門家から言わせるとそうでもないらしい。「群発地震」というのは、たいていの場合は一定期間、震度5弱程度までの地震が続いていくが徐々に治まっていくものらしい。その間に地底マグマの変化が起こるので、時には地形が徐々に変貌したりする。当然、長野県と岐阜県の県境には飛騨高山の北アルプスが広がっている。だから、その山の形状などに若干の変化が生じるかもしれないのだ。もう一つ、高山市の近くに「新平湯温泉」という温泉郷がある。実は先週から30年前以上前に枯れ果ててしまったはずの温泉源泉が、再び勢い良く湧き出しているのだ。もしかすると、もっと別なところにも、新たな温泉が湧き出ているかもしれない。奇妙なもので、温泉地帯というのは活況を呈する時期と、さびれてしまう時期と、周期的にやってくるようなところがある。一番活気づくのは温泉が“お披露目”されて2~3年後くらいの時である。そして、大体40~50年経つと、徐々に人気が薄れていく。ひょっとすると、元々が地球の内部から湧き出て来る“自然界の恵み”であるだけに、温泉そのものにも、人を惹きつける“活性期間”のようなものが備わっているのかもしれない。その周囲に、他に温泉があるのかどうか知らないが、おそらく“地底の神”は“新たな温泉地”が開拓型の人間によって誕生するのを密かに待っているに違いない。

「子供のために…」は“逆効果”になる

2020-05-19

5月16日に“妻への暴行”容疑で逮捕されたタレントのボビー・オロゴン氏が、起訴に持ち込まれることなく釈放となった。本人は否定しているらしいが、子供達の証言から実際に暴力をふるったのは間違いないだろう。もっとも“傷害の診断”が出るほどの怪我もなく、DVとしては比較的“軽いもの”とみなすことも出来る。一応、夫婦間の出来事であるから、今回のことだけですべてを決めつけることは出来ないが、夫人の玄関前インタビューによれば「永年ずっと我慢してきた」と話していて、ガスを止められるとか、家を出て行けとか、離婚用紙に判を押せとかの話もあるらしく、ただ単なる一時の感情ではない印象が強い。夫婦間で“DV問題”がある場合、往々にして被害者側が「子供のため我慢している」というケースが多い。多くの場合、離婚が成立すれば、妻側が子育てをする形になるので、十分な養育費など得られそうにない場合は「離婚を我慢する」ということになりやすい。けれども、そうすることでほとんどの場合DVは継続するし、子供達には“夫婦間の悪い印象”だけが記憶に残る。幼い子供の場合、両親の間で行われるDVの目撃は或る種のトラウマになる。そういう場合には早期に弁護士の元を訪れた方が良い。子供のためだけに我慢するのは逆で、子供のために良くないのだ。この場合、DV被害者が口にしがちなのは、加害者側の“豹変”である。「昔はあんな人ではなかった」とか「子供達には優しいので…」とか「お酒を飲まなければ…」とか「お金のことさえなければ…」とか「私が口答えしなければ良いんですが…」とか「朝帰りを責めると…」とか…どこかで加害者を擁護しがちな点が見受けられる。占いの相談者の場合には、最終的に「出来れば離婚せず、やっていきたい」というケースが多い。「運命的には同じことの繰り返しになりそうなので…」と離婚の方を奨めても、納得してくれない女性が多い。そういう場合、私は必ず「今でも愛情はあるのですか?」と訊く。そうすると、ほとんどの場合「わからないです」と答える。おそらくは「愛・憎」が一体化してしまっている。こういう場合、情愛の強い人はなかなか別れない。少なくとも「子供達の犠牲になる」という考え方は、正しいとは言えないのだが…。

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