1月, 2020年

デヴィ婦人ではなく、孫正義氏が「顔」

2020-01-18

日本では最近、未来に関しては“浮かない話”が多い。せっかく海外からの投資資金を呼び込むのに“絶好のチャンス”だった「IR事業構想」も、一部のおかしな政治家が賄賂など受け取ったことで、もはや“汚い事業”にしか思えない。どうして日本に何千億円も投資してくれる事業者から、個人として先に数百万程度の賄賂を受け取ってしまうのか。政治家は「未来のために仕事をしている」という本分を、どうして忘れてしまうのだろう。その点で見習うべきは孫正義氏である。言っておくが、彼は政治家ではない。けれども、世界に“顔が利く”という点では政治家以上だ。実際、今回、インドネシア政府はアブダビのムハンマド皇太子、英国のブレア元首相、そしてもう一人、ソフトバンクGHの孫正義氏の三名を「首都移転計画」の審議会メンバーとして選出し「インドネシア政府の“顔”となってほしい」と期待をこめて内外にアピールした。インドネシアの首都ジャカルタは“世界一”とも言われる渋滞地域で、交通がマヒしているだけでなく、地盤沈下が深刻で一刻の猶予も許さない。厳密にいうと、予算のめどはたっていないのだが遷さざるを得ないのだ。けれども、そういう“経済支援”を必要とする中で、インドネシア政府は今回、中国を頼らなかった。中東とイギリスと日本を択んだのだ。もちろん、これは政治ではなく「民間からの支援」なのだが、他のアジア諸国とは“異なる選択肢”を見せつけた格好だ。そして、もう一つ、この“選択肢”に元インドネシア大統領夫人であった「デヴィ・スカルノ」の名はない。その代りのように「孫正義」を入れている。もっとも、いくらデヴィ婦人が資産家だと言っても、孫正義氏にかなうはずがない。しかも、孫氏はどんなに投資しても、要所以外は口出しすることが少ない。今回も3兆円から4兆円の支援を約束しているとも言われる。もちろん、商人である孫氏が“損得勘定”をまったく抜きにして支援するはずもない。けれども、少なくともそれ以前として、インドネシアの未来を見つめている。それを確信するから、インドネシア世府も「顔」となってほしいと要請したのだ。

「豪」→「比」→「 」の自然災害

2020-01-17

ご存じのように「豪=オーストラリア」の“森林火災”は自然災害だ。そして今月12日「比~フィリピン」の“タール火山”が大噴火した。ただ、これは序章であって、もっと“大きな爆発的噴火”が起こる可能性もある。現在、半径14㌔の住民に対して「避難勧告」が出ている。居住者の数は46万人もいる。半径を17㌔に広げれば居住者は100万人以上に達する。なぜ、そんなに警戒しなければいけないか、実はスペイン統治時代の1754年、このタール火山は爆発的に噴火しているのだ。その時、付近にあった「古都タール」は無くなってしまったのだ。現在のタールは、その時に移設された街なのだ。壮麗なキリスト教の教会や大聖堂がある。古都と呼ぶにふさわしい街並みだ。現在の首都マニラからは60㌔でほぼ真南の地点にある。実は地震学会の方からは警告が発せられている。噴火に伴う二酸化硫黄が15日までに沖縄周辺まで流れ込んできているというのだ。そう、我が国も安泰ではないということだ。必ずしも、噴火の影響だけではない。オーストラリアに大規模な“森林火災”が生じ、フィリピンに“大噴火”が生じたとなれば、その“自然災害のライン”は北に向かっている。次は台湾か、日本か、ロシアかというところなのだ。どんなに科学が進んでも、結局、自然災害に対しては“お手上げ状態”で、神に祈りを捧げるくらいしか人間には出来ない。中国は“人口の月”を打ち上げるというが、とうてい“ホンモノの月”の足元にも及ばない。明るさだけが月の役割ではないからだ。古代から、月のさまざまな変化は魔力の証しと信じられた。女性の生理が、月の周期に関連を持っているという説がある。交通事故の発生確率が、満月・新月に関係を持っているという説がある。男女の産み分けが、月の位置などから可能になるという説もあった。さまざまな“仮説”が、生まれては消えた。地球生命体の“大暴れ”現象の一つ“タール火山大噴火”がこのまま鎮まってくれることを願うばかりだ。

インターネットが「中国」を変えた

2020-01-16

私が中国を初めて訪れてから、もう25年以上が経つ。だから、国として変わっていくのは当然なのだが、それにしても大きく変わったと思う。或る記事に、最近の中国でSNS上に投稿された何枚かの写真と説明が“論議の的”になっているというのだ。つまり、十代半ばの女子学生が学校の校庭で男性教師から、強制的に化粧を落とされている数枚の写真だ。この何の予告もなしに強制的に“化粧を落とす”という行為が問題ではないかということだ。もちろん、それに対して「学生時代は勉強をするべきだ」というまっとうな意見もある。その一方で、まずは注意して、それからでも遅くはない。いきなりというのは「心を踏みにじる行為だ」と反論する人たちもいる。私が受けた第一印象は「あの中国がこんな風になったんだ」という不思議な感情だった。なぜなら、私が初めて見た中国の女性達は、そこが都会ではなかったせいもあるが、多くの女性がまだ“人民服”を着ていたのだ。この“人民服”そのものが、若い人にはわからないかもしれない。男子の学生服に近い服装だ。髪は後ろで束ねていた。そういう中国の女性達を見て、あのとき私は「どれくらい経ったら、日本のような女性達に近づくのだろう」と思ったものだ。けれどもインターネットの登場は“広大な面積”を誇る中国という国を、あっという間に変貌させた。特に、今の若い女性達の変化は本当にすさまじい。今や完全に日本に並んだというか、日本を追い越したというか、少なくとも経済力だけでなら抜いてしまったことは間違いない。そして、インターネット上で、日本と同じような問題が論議されるようになったことも、文化的にも接近している証拠のような気がする。“倫理観”や“道徳観”など、人間教育が追い付いていない印象も受けるが、全世界的なインパクトとしては「アメリカと互角に闘う国」に成長したことは間違いがない。単一民族で国土の狭い日本のような国の場合、インターネットはそれほど威力を発揮しないが、中国のように国土が広く、多種多様な民族・宗教を束ねていかねばならない国家にとって、インターネットは極めて有効なのだ。その中国よりも「自分たちの国の未来に希望が持てる」と答えている国がある。インドだ。中国もインドも、その未来に対しては楽観的なのだ。日本人はどうかというと、楽観的な人は極めて少なくて、調査した国の中では最低だった。

「匿名中傷者」を減らす第一歩

2020-01-15

世の中には“顔”や“名前”が出なければ何をやっても良い、という困った考えの持ち主がいる。本人としては「罪」としての意識が低いのかもしれないが、“ネット上の批判や中傷”も度が過ぎれば当然「犯罪」の範疇に入る。ただ芸能人などの場合、人気の裏返しのようなところもあって、受け流して来ている人たちが多かった。けれども最近になって、それらに真正面から向き合う人達も出てきた。ネット上の過度の中傷に対しては「発信者情報開示請求」と呼ばれるものが法律的に認められるようになった。それが通ると、どんなに仮名で投稿していても、中傷を受けた側が相手の本名を知ることが出来る。そのような過程を経て、昨日、女優の春名風花氏がネット中傷者の1人に対して“265万円の支払い”を求めて提訴に踏み切った。問題の中傷投稿には「彼女の両親自体が失敗作」という表現があり、これを“許しがたい中傷”と捉えたようだ。実は彼女だけでなく、多くの芸能人・有名人がネット上で中傷・批判にさらされている。同じように「発信者情報開示請求」から投稿者を突き止めた元アイドルで実業家の川崎希氏は昨年10月に「今後は許さない」と警告を発している。彼女の場合「流産しろ」とか「自宅を放火する」という脅迫文めいた内容で、我慢の限界に達していたようだ。このような動きが進んでいくことで、ネット上の無記名投稿でも本名だけでなく、それ以外の情報まで伝わってしまうということになれば、自然と「姿なき中傷」も減っていくのではないだろうか。私は芸能人や有名人に対する批判や中傷をすべて無くすこと自体は良いと思わない。有名人であろうと、誰であろうと、批判されて当然と思う場面もあるからだ。ただ、その場合であっても自らの名前は出すべきで、自らの姿を隠して批判・中傷するのはアンフェアである。私はだから稀に批判してくる方には、必ず「名前を出してください」という。名前を出せないのは、どこかに心やましい部分があるからなのだ。

「金銭感覚」は人さまざま

2020-01-14

9年ぶりの映像として元タレント島田紳助氏がYouTube「misonoチャンネル」に出演した。おそらく近年苦境に立っているmisono氏の“チャンネル登録者数”を増やすのに一役買ってやりたかったのだろう。その島田氏の話の中で私がもっとも注目したのは、同じくゲスト出演していたタレント山田親太朗氏の“金銭感覚”を明らかにしたことである。かつて宮古島でロケがあった時「こいつ(山田氏)は飛行機のチケットだけ持っていて、一文無しで宮古島に来て、平気でいるから金を渡したら、渡した瞬間にみんなにそれでおごってやっていた」と語ったのだ。何んとも、すごい度胸というか、沖縄出身者らしい金銭感覚だと思った。ただ現代の若者たちにも“似たような金銭感覚の所有者”が増えてきているような気が、私にはするのだ。後先を考えないというか、良く言えば“金銭に振り回されない”というか…。そういう点では、住友重機械工業の労働組合の年金口座から、立件出来ない分も含めると12年間で10億円以上をも着服していた会計担当・田村純子の金銭感覚も通常では考えられない。まず、12年間もの間、自分の業務として“労組口座”から“自分の口座”に平然と移し替え、そのほとんどを“乗馬クラブ”に当てていた。男性に貢いだのではなく、“馬”に貢いだのだ。多数の馬の馬主になっていた。よく「男に騙された」という女性がいるが、馬は「もっと金を引き出せ」と喋ったのだろうか。昨年11月に女優の剛力彩芽氏と別れた前澤友作氏は、今年もまた総額“総額10億円”のお年玉企画を行った。さらにTV番組として「お見合い企画」をスタートさせた。この人の金銭感覚も、なかなかにユニークだ。既に何千人もの女性達が応募しているそうだが、中には勤めていた会社を辞めて…という“信じ難い女性”までいる。前澤氏自身は「生涯にわたって愛し続けられる女性」を求めているようだが、どこかで疑ってしまうのはいけないことだろうか。とにかく昔から「お金は人を変える」というが、悪魔にも天使にもなるのが「金銭」かもしれない。

「充実の40周年」&「荒廃の40周年」

2020-01-13

厳密に言えば片方は来年が40周年で、もう片方は昨年が40周年だった。けれども、どちらも“40周年”を強調してアピールしている。来年40周年の方が「歌手デビュー40周年」の薬師丸ひろ子氏であり、昨年40周年の方が「創刊して40周年」の雑誌『ムー』編集部である。そして、薬師丸ひろ子氏の方はそれを記念し1月25日NHK「SONGS」に出演、近年、歌手活動に力を入れてきた成果を披露する。自ら作詞した「アナタノコトバ」なども披露。けっして女優の片手間に歌うのではなく、むしろ最近は歌手活動をメインにしている密着映像なども加えるらしい。確かに彼女の歌声には透明感があり、子守歌のような“癒しの響き”がある。それはデビュー当時から変わっていないのだが、むしろ、さまざまな人生経験を経た最近の方が“癒しの威力”を増している。通常、歌手というのは若い時の方が“歌声”に艶があるものだが、俳優をやってきた方は中年以降に“より艶を増す”傾向がみられる。その代表格が彼女だと言って良い。一方の雑誌『ムー』編集部の方だが、近年はTVにも進出し、グッズ販売にも力を入れている。40周年を記念しウェブマガジン「ムーCLUB」の配信も開始するという。私も昔は『ムー』の信望者だったので、最初はTV番組なども期待をした。けれども、完全にそれは“期待外れ”以外の何物でもなかった。『ムー』はUFO・心霊・古代文明・超能力・予言・奇現象などを扱うミステリー雑誌である。70年代~80年代にかけて、とても充実した内容だった。けれども、近年、雑誌内容はどんどん魅力が薄れてしまった。何よりも雑誌から“緊迫感”が感じられないのだ。かつて「ノストラダムスの大予言」がブームになった時、この雑誌には“或る種の緊迫感”が感じられたのだ。UFOによる“誘拐多発”や“家畜惨殺”、ユリゲラーなどによる“超能力ブーム”でも、何かしら“神秘”や“脅威”が手の届くところに有った。けれども、今の『ムー』には何の緊張感もない。明らかに内容的に“荒廃”してしまった。TV番組などは単なる“同好会番組”でしかない。どうして昔のような“緊迫感”のある雑誌やTV番組がつくれないのだろう。「真実に挑む」という姿勢が、どうして失われてしまったのだろう。

十二支はなぜ「龍(辰)」を入れ「猫」を省いたか

2020-01-12

新聞記事からの抜粋に「十二支」では、なぜ“ネコ”を加えなかったのか、という趣旨の話が載っていた。そして動物学者に問い合わせて、十二支選定の時代にはまだネコが古代中国には存在していなかったからではないか、という結論に辿り着いていた。確かに、今から4000年ほど前の中国にネコは存在しなかった。エジプトでは5000年以上前から存在していたネコが、中国にまで進出してきたのは、今から2000年前頃のことだろうと推測されている。存在しないものは取り入れようがない。そこで気になるのは「龍(辰)は存在していたのか」という問題である。十二支には、古代中国における“身近な動物”が当て嵌められた。その当時、虎(寅)は既に人々の暮らしの中に溶け込んでいる動物だった。ところが、その当時というか、現在でもそうだが「龍(辰)」は実在していない。にもかかわらず十二支の中に紛れ込んでいる。どうしてだろう。私は昔、そのことが不思議で仕方がなかった。古代中国人の生態を調べると“想像上のもの”にはあまり関心を示さない。あくまでも実生活に“関与”するもののみに関心を示す。だから、古代中国の“自然観”では「海」というものは存在していないのだ。その代りのように「大河」が、実質的には海の役割を果たす。原初の十二支は、動物それ自体ではないので、甲骨文字(象形文字)としては「巳→蛇」と「亥→猪」くらいしか、動物の象形をそのまま十二支の源字としていない。ちなみに「巳」の蛇には二種類あって、実際に蛇の象形と思える形と、人間の乳幼児の象形とである。「亥」の方は“猪の仲間”である豚の象形である。さて「辰」の方はどうかというと、これにも二種類あって、その一つは明らかに“大蛤”の象形。もう一つが“謎の動物”の象形。そして多分、この“謎の動物”が実際の古代中国に生息していた動物に違いないのだ。つまり「龍」だ。私はそれを「イリエワニ」だと確信している。なぜなら、あまりにも“伝説の龍”にいろいろと似ているからだ。まず顔立ち。その横顔、眼や鼻や口の位置などピッタリである。四つ足であり、しかも“五本指”を持つ。硬い鱗で全身おおわれている。尾が長い。普段は水中に暮らす。古代中国にはイリエワニは生息しなかったという説もあるが、もしかしたら殷王朝の祖先が“生息地域の出身だった”可能性もある。

 

「不幸」&「幸運」“紙一重”だという証明

2020-01-11

中国の格言に「人間万事塞翁が馬」というのがある。何が「幸運」に繋がり、何が「不幸」を呼ぶか、そう簡単には解からないものだという教えだ。実際、そう思われるような現象が、数多くの“歴史的な事実”にもある。現在、オーストラリアでは森林火災が続いている。アメリカやカナダからも応援部隊が来ているのだが、一向に鎮火する気配を見せない。当然のことながら、家屋を喪失した人も多い。ニューサウスウェールズ州では、今のところ、1995戸が家屋全焼、816戸が半焼の状態であるという。その一つの全焼した家で妻と二人暮らしていた男性がいる。当然のことながら、彼は住居を失った。しかも、その住居には“火災保険”を掛けていなかった。絶望の中で、彼に見知らぬところから電話が掛かってきた。ゴールデン・キャスケットという会社からで、いきなり「おめでとうございます」と言われたのだ。いぶかしる彼に電話の主は“宝くじ会社”の者だと告げる。つまり、彼は「100万豪州ドル=7540万円」の宝くじを当てていたのだ。彼は、お金を受け取りに来た時にも「これは幻覚じゃないか」と言葉に出した。妻の「ラッキーナンバー」を当てはめて購入した宝くじが当たったのだ。奇跡のようなお話である。さて、その一方で、幸運から不運に向かってしまうケースもある。テヘランを離陸直後に墜落したウクライナ行きの旅客機には乗員乗客176名が乗っていた。イランからの“誤射”によって撃墜されてしまったのではないか、という“噂”がある旅客機だ。全員亡くなったが、そのうちの多くがカナダ人だった。どうしてかというと、正月休みを故国や親戚で過ごし、居住地であるカナダに戻ろうとしている人達が多かったからだ。この犠牲者の中に、2020年1月1日にイランで結婚式を掲げたアルバータ大学の院生カップルがいた。彼らは正月に故国イランで挙式し、カナダに戻ろうとしていたのだ。自然災害にしろ、人的災難にしろ、人生には“一瞬の巡り会わせ”が大きな不幸を呼ぶこともあり、予期せぬ幸運を手にすることもある。そして、そういうことが起きた時、誰もが「運命」という言葉を口にする。

激しくなった「日本株」の上下動

2020-01-10

昨年末から連日の海外情勢の変化が「日本株」の動きに“激しさ”を加えだしている。「上」にも「下」にも、激しく動くように変わった。しかも、それは“経済動向”というよりも“政治動向”の方が影響を与えている。これまで、どちらかと言えば、日経平均の動きは緩慢だった。アメリカのダウやナスダックの値動きは激しいのに、日経平均の動きは焦れるほどにつつましかった。欧州やアジアの株価の動きと比べても、明らかに“出遅れ”でもたもたしていた。それが年末近くになって以降、大きく一般した。まるで、それまで足枷となっていたものが外れたかのように「上」にも「下」にも、大きく動く。その方が、少なくとも動きが乏しいよりもスリルがあって良い。ただ、どちらの方に動いているのか未だ正確には掴めない。もしかすると「日本市場を再編する」というニュースが海外に伝わって、それが海外の投資家に“新たな動き”を誘いかけたのか、或いは、私が以前から言っている原油先物価格が、ようやく60ドル台に差し掛かりつつあるからか。もっとも為替の方はドル円が108~109円台で、こちらの方は未だ膠着状態が続いている。これが111円台に突入すれば、つまり原油価格が60ドル台を突破し、ドル円相場が110円台を突破すれば、間違いなく「日本株」は“上昇気流に乗った”と断言できる。ところが、今のところ、この“二つの指標”は行ったり来たりでなかなか先が読めない。特に、現在のようにアメリカとイランとの関係が“一発触発状態”になると、ドル円相場は急変する可能性もある。原油価格が急落しても、ドル円相場が急落しても、ともに「日本株」にはマイナスに響く。要するに“世界情勢”が安定してくれないと、日経平均は一方向を示せないのだ。ただ昨年一年の“日本株の動き”は鈍重で、投資家たちに苛立ちを与え続けた。もしかすると今年は、その反動で値動きの荒い展開が続いていくのかもしれない。じわじわと下がり続けていた銘柄が多いだけに、いったん上向けば実績より“見通し”で動く日本株は激しい上下動の中で“最高値”を更新し続けるかもしれない。

「STAP洋菓子」を、お召し上がれ⁉

2020-01-09

マスコミというのは、時々もっと追求すべきとか、もっと追跡取材すべきとか、そう思うような相手には沈黙を守り「もう良いでしょう」とか「しつこすぎるよ」と感じるようなところには執拗に食い下がっていく。その見本のような取材記事が出た。かつて一世を風靡した「STAP細胞」の小保方晴子氏への取材である。もう彼女は科学者でもなく、公的な立場にも居ない。それなのに、未だに追求し続けようとするマスコミがある。生まれ変わった“新しい姿”に視点を向けるなら、まだ良い。そうではなくて、未だにSTAP細胞問題の“決着”とか“責任”とか言う形で追及し続けている。まるで“犯罪者”扱いである。これを読まれる人の中には「だって実際に犯罪者じゃないか」というようなことを思っている人がいるかもしれないので、その真相を説こう。まず、彼女は犯罪者でもなければウソつきでもない。実は、この事件では一人だけ“犠牲者”が出ている。彼女の上司だった笹井芳樹氏だ。もし、彼女に意図的な“不正”も“嘘”もなかったとした場合、あの事件で責任を取らなければならないのは笹井芳樹氏である。だから、彼は責任を取ったのだ。自ら自殺したのだ。つまり、小保方氏は何も知らなかったということだ。だから、彼女の中に自分が「ウソをついている」という意識がないのは当然なのだ。実際には出来るはずのない「STAP細胞」が、彼女の知らない間に出来上がっていた。彼女の知らない間に、そうできる人物は誰か。笹井芳樹氏以外には存在しないのだ。彼は、あの研究における最高責任者であり、彼女に研究室にも自由に出入りできたはずだ。彼女を先に帰して、自分が残れば、翌朝になって“奇跡の誕生”をさせることが出来る。だから、彼は彼女を最後まで責めることなく「研究を続けて欲しい」と遺言した。彼女が「悪くない」ことを知っている唯一の人物だったからだ。だから、小保方氏は誰にも恥じることなどなく、自ら“作った洋菓子”のお店に立てば良い。

「夢」の予兆と「占い」の予兆

2020-01-08

正月が来ると、誰でも気にするものの一つに「初夢」というものがある。これには実際に寝床で観る「初夢」と、想像の中で“今年の願望”を語る形での「初夢」とがある。寝床で観る初夢は正月2日の夜に見るものが“本当の初夢”などともいうが、実際には必ずその夜に見られるという保証もない。また見たとしても、必ず“憶えている”とも限らない。新年になって、初めて“記憶に残った印象的な夢”、それが本当の「初夢」のように私は思う。昔は、縁起の良い初夢として「1富士2鷹3なすび」とか言った。けれども実際には、そういう夢など滅多に見ない。私は時々、夢の内容を語られ「これは、どういう意味を表す夢だと思いますか」と問われることがある。確かに「夢占い」という分野はあるが、実際にはなかなかに解釈が難しい。ただ“深く記憶に留まる夢”は、本人の潜在意識からの“何らかのメッセージ”である場合も多い。例えば私など、しょっちゅう会社員時代の夢を見る。会社の中で仕事をしているのだが、仕上げなければならない期日には到底間に合いそうもない。どうしよう。と言ったような夢である。これらは、もう会社員ではなくなって何十年にもなるので、その仕事からも離れて何十年にもなるので、本来であれば繰り返し見るような夢ではない。けれども、同じような設定で何度も見る。では会社員時代に、実際そういう状態があったのかと言えば、稀にはあったが普段は期日には余裕をもって仕事をしていた。だから、稀な現象でしかなかった。しかも実際の時には、そういう場合には“期日を引き延ばしてもらう”とか何らかの対策を施していた。つまり現実世界でも、あまり経験してこなかったような出来事を繰り返し何度も見ている。一体、どうなっているのだろう。それに比べて、残念ながらというべきか、なぜか「占い」に関する夢はまったく見ない。本当にまったく見ないのだ。ただ「夢」には、未来の“予兆”となる夢があることは事実だ。ただ、それが“ストレートな形”で現れることは少ない。そういう点では「占い」の予兆もまったく同様で、後から考えれば「驚くべき予言」と言えるようなことを全然関係ない時に行っている場合が多い。意識して行う予言よりも、さりげなく語った一言の方が、後になって「的中した」と言われることが多い。もしかすると私の場合、無意識に発した一言の方が価値を持っているのかもしれない。

そして「小沢ガールズ」は居なくなった

2020-01-07

元衆院議員の三宅雪子氏が12月27日以降連絡を絶ち、自宅には遺書も残され、入水自殺らしき遺体姿で1月2日に発見された。彼女の場合、家を出る直前まで、ツイッターを更新していて、その内容からも“死を覚悟していた”と推測される。2009年に議員となっているので、ほぼ十年後になって“無念の最期”を遂げたと言えるかもしれない。彼女を含めて、その当時、小沢一郎氏の影響下で登場した女性議員たちは「小沢ガールズ」と呼ばれた。彼女以外には、青木愛氏、姫井由美子氏、田中美絵子氏、福井衣里子氏などがいた。けれども十年経って、そのほとんどは「政界」から消えた。いかに政治世界というものが、勢いだけでは続かないか、見た目だけでは続かないか、如実に示す結果となっている。青木愛氏はその後、実家の保育園が放火されるとか、小沢氏の秘書との不倫が取り沙汰されるとかした。姫井由美子氏は「姫の虎退治」という触れ込みで華々しく登場したが、愛人から暴露本が出て「ぶって姫」という名称に早変わりした。田中美絵子氏はピラミッドに登って逮捕され、キャリア官僚との不倫が発覚し、風俗ライターやヌード女優だった過去が暴かれた。福田衣里子氏の本当の夢は「パン屋さんになること」であったと明かされた。今回、“無念の最期”を遂げた三宅雪子氏も、自宅マンション4階から転落して“自殺未遂”だったのではないかと騒がれた過去がある。どう考えても、十年後の「小沢ガールズ」は“危ない人たち”で、まともな政治家としての“歩み”を残していない。一つには、日本ではどうしても“女性政治家”に対して、そのプライベートでの動きの方に注目が集まりがちな事情もある。もう少し、政治本来の“役割”をどれだけ果たしているか、そういう部分に切り替えないと、いつまでたっても本当の意味で女性政治家が活躍できない。ただ“政治の世界”は、勢いだけでは続かない。強い「信念」のようなものが根本的に必要なのだ。それがない女性は、かえって“不幸に巻き込まれやすい世界”として認識した方が良い。特に男性は、政治世界に足を踏み入れた女性を、守ってはくれないのだ。

今後、増えそうな「通い婚」という形

2020-01-06

昨年の“良い夫婦の日”に結婚されたタレントの壇蜜氏が、“新婚の年初の過ごし方”を問われ、1月5日時点で「まだ今年になって逢っていないんです」と答えたそうだ。元々この二人、仕事の関係で、すぐ一緒には暮らせないようで、夫である清野とおる氏の方が壇蜜氏の自宅に“逢いに行く形”の結婚生活らしい。俗にいう「通い婚」だが、昔は「別居婚」という言い方をした。そして昔多かったのは、夫側が“単身赴任”等で期間限定で海外などに出張するような場合だった。最近は必ずしも、そういうような事情ばかりではなく、互いの生活事情とか、仕事事情とか、経済事情とか、家族関係とかいろいろなものが背景として出て来て、結婚はしたいが“一緒には住めない”というケースも多くなってきているよう感じられる。そのせいか、壇蜜氏のように新婚の新年で1月5日で「まだ逢っていない」という返答も、さほど違和感なく受け入れられる世の中になった。おそらく、今後、こういう「夫婦の形」は増えていくことはあっても減ることはないのではないだろうか。特に日本の場合、家族関係が極めて“濃密な家族”と、逆に“希薄な家族”が双方とも増えて来て、完全に二派に分かれつつあるような傾向がみられる。“濃密な家族”にとっては、節目、節目の“大切な日”は一緒に過ごすのが当たり前で、離れているなど考えられない…ということになるし、その一方“希薄な家族”の方は、むしろ直接“顔を合わせない”ことの方が家族間が上手くいく…という法則のようなものが働きだしている。「通い婚」という形も、或る意味では互いに“都合の良い形”で、いったんこれが定着してしまうと、今度は一緒に暮らし出すタイミングがなかなかに難しい。新婚の場合、最初は「通い婚」でも一年以内くらいに一緒に暮らし出さないと、そのままずるずる「通い婚」が続いていく可能性が強い。「シェアハウス」がいつの間にか“おひとり様”の新しいライフスタイルの一つとして定着したように、「通い婚」というのも新しいライフスタイルの形として“市民権”を得ていくような気がする。

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