10月, 2019年

「天災」と「死後生命」の不思議

2019-10-16

東日本大震災以降「似顔絵ボランティア」を続けて来たイラストレーターの森琢磨氏(46歳)が10月14日に亡くなった。今年2月に「肺がん」が発覚し、その後は闘病が続いていた。彼が東北各県で“似顔絵”をプレゼントした人は9000名を超える。似顔絵と言っても“普通の似顔絵”だけではない。震災で亡くなった息子さんや娘さんの“成長後の姿”も描くことが出来る。正にプロ中のプロなのだ。受け取った人の中に「亡くなった息子が観たら、さぞ喜ぶことでしょう」と言っていたのが印象的だった。そういうボランティアをなぜ始めたのかというと、丁度、震災が起こった頃に自分自身の父親を病気で亡くしたからだ。その時の“喪失感”が、同じように“喪失感”を味わっている震災の被害者たちに、自分が出来る方法で寄り添いたいという想いを与えた。そして毎年出掛けては、自らが病気になるまで9000枚以上の似顔絵を描き続けたのだ。けれども、そういう“善意の人”の命を「神」は46歳という若さで奪った。大きな自然災害、不慮の事故、命を奪う病魔は、予期せぬときに理不尽な形で襲ってくる。われわれはそれに逆らう“手立て”を持たない。今回の台風だって、あれだけ予測は出来たのに、結果的には大自然に勝てなかった。私は自分の母親の“不慮の死”も父親の“病魔”も、その数か月前から“何となくの予感”を持ち、“それとなくのアドバイス”を何回かしたが、結果的には役立たなかった。身内に対して「死」という予言は出来ない。義母を最期に占った時にも「外出はしても良いけど、家の近くで留めておいた方が良いかも…」というのがせいぜいだった。珍しく不満そうな顔をしたので「まあ、体調が良い時には長時間でなければ…」と付け加えておいた。誰かの「死」が、人生の転機となっている人は多い。私なども実母の「不慮の死」がなければ“プロ占い師”となっていたかどうかわからない。少なくとも20代半ばから始めることはなかっただろう。母親が亡くなってすぐ十万円もかけて「運命鑑定」の看板を作ったのだ。私が占いを教えた方の中に、旦那さんが亡くなって、それが元で“占い”を本格的に学び出した方が二人いる。しかも、奇妙なことに、その二人の旦那さんは両方とも生前プロ占い師であった。このお二人はそれぞれに夫の跡を継ぎ、プロ占い師として活躍している。一人の方は夫の書籍棚から“私の本”が出て来て習おうと思ったそうだ。もう一人の方は夫の友人だった女性占い師の方から強く勧められて習いに来た。「死後生命」というのがあるのかどうか、私は知らない。もし有るのだとしたら、母親は相当頑張って、私を支えているのだろう。

“無記名書き込み”が「死」を招く

2019-10-15

韓国芸能界では、同じような事件があまりにも多い。昨日、ソウル近郊の自宅で、元ガールズグループ“f(x)”で現在は女優主体に活動するソルリ氏(25歳)の自殺遺体が発見された。連絡しても反応がないのに不信を抱いた担当マネージャーからの依頼で、警察が自宅を捜索した結果だった。ソルリ氏は2009年にデビューしたが、2014年に悪質なネットの書き込みなどから芸能活動を休止し、その後、グループを脱退した。ソロとなって以降は女優主体に仕事をしていたが、今年6月、自らの作詞作品でシングルをリリース。歌手活動も捨てていなかった。自宅には遺書ではないが“日記風ノート”が遺されていて、そこに自殺に至る経緯のようなものが記されていたらしい。それにしても、韓国では“似たようなケース”が続いているのに、それに手を打っている形跡がない。もちろん、わが日本でも、似たようなケースはあって「アイドル」というものの“在り方”事態を考える時期に来ている。まず、10代前半から芸能事務所入りさせることが問題である。やはり中学生の時点から「アイドル活動」に入るのは問題が多い。“ネットの書き込み”からではないが「農業アイドル」として活動していた大本萌景さん(16歳)が2018年3月に“自殺”した事件では、遺族側と事務所側との意見が真っ向対立して“訴訟合戦”になっている。言葉は悪いが、中学生をこき使った芸能事務所は指弾されなければならないが、同時にそうなる可能性も予想される“アイドル活動”を事務所に託した遺族側にも多少の責任はある。一部の「アイドル」がマスコミや芸能世界での寵児となって“巨額の富”を生み出す。ところが、それはあくまで“ほんの一握り”であって、ほとんどの「アイドル」は、その“笑顔”とは裏腹に、過酷な労働や僅かなギャラに苦しんでいる。そういう中での“ネット上の書き込み・中傷”は致命傷となる。今や週刊誌よりも、ネット上の“書き込み”の方が影響力が強い。それが「ウソ」や「デマ」であっても、いったん「炎上」してしまった言葉は独り歩きして拡散していく。無記名の書き込み方式を改めないと、そういう形で“深く傷つく人生”を歩む人たちが増えるばかりだ。「顔」を晒して生きている芸能人や政治家などならまだしも、そうではない“一般人”さえも“書き込み”に怯えている人たちがいる。「顔」や「名」を表わさない“執拗な書き込み”は見えないだけに「悪霊」に憑りつかれたのと同じ“霊界”へと手招きしているのだ。

東京五輪「マラソン」男女ともケニアが金⁉

2019-10-14

ご存じのようにマラソン競技は42,195㌔の距離を走る。人類は他の動物と比べて特別“速い”わけではない。しかもマラソンの距離は長いので時間もかかる。ひた走る以外に何かをするわけでもない。それなのに、この競技はなぜか廃れない。むしろ「マラソン人口」は増えていくばかりだ。結局、人は誰でも走ったことがあるし、走り続けることの“辛さ”や“苦しさ”を知っている。だから共感しやすいのかもしれない。ただ走り続けることで「人間は平等」であることを、何となく感じさせてもくれる。もっとも“オリンピックらしい競技”なのだ。永い間、人間は「2時間の壁」を超えられなかった。ところが、10月12日ウィーンで記録への挑戦が行われ、非公認ながらケニアのエリウド・キプチョゲ選手が1時間59分40秒というタイムでゴールした。「2時間の壁」を超えたのだ。もっとも、この日はペースメーカーが前5人、後2人、入れ替わりながらの並走だったらしい。私などからすると“ややアンフェア”な印象もぬぐえない。非公認記録なのは当然である。翌日、今度はアメリカで「シカゴマラソン」が行われた。この大会でケニアのブリジット・コスゲイ選手が“女子の部”2時間14分04秒の世界新記録で優勝したのだ。女子の世界記録更新は16年ぶりのことであるらしい。こうして男女とも、世界をトップで走るのは現在のところ男女ともケニア勢なのだ。このところ日本勢はどうもさえない。男女ともさえない。かつで「金メダル」に輝いた「国」であることが“幻想”であったかのよう後退している。おそらく“新記録”は難しかったとしても、東京五輪では男女ともケニア勢が「金メダル」を独占する可能性が強い。アフリカのマラソン選手と言えば、エチオピアのアベベ選手が有名である。ローマ五輪では全くの無名選手でありながら“世界新記録”を打ち立て一躍ヒーローとなった。もっとも1964年の東京五輪では、怪我で出遅れマスコミからは完全に無視されていた。それでも本番に強いのかアベベ選手は奇跡を起こし、二大会連続の「金メダル」に輝いたのだ。そういう点では日本選手だって“地元の利”というものがある。ケニア勢と互角に戦える可能性だってないとは言えない。ただ走る。それだけの競技なのだから…。

苫小牧に「カジノ」が出来る⁉

2019-10-13

IR(カジノを含む統合型リゾート)の誘致活動が活発になってきているが、北海道では先週、経済4団体が一丸となって「道」に対して早急に“名乗り”を挙げるよう働きかけ始めた。現在のところ、横浜と大阪が名乗りを上げている。さらに、長崎とか、千葉とか、和歌山とか、東京とか、名古屋なども申請予定、或いは検討中としていて「全国3か所」の“IR誘致”のはずが、意外なほど混戦模様となっている。もっとも地元民からの反応は冷たくて、多くの地域が「賛成」より「反対」が上回る。だから躊躇している地域も多いのだ。ところが苫小牧の場合は「市」全体がどちらかと言えば前向きなのだ。但し「北海道」全体、或いは「道民」全体となると話は別で、あまり“歓迎する”雰囲気は今のところない。実は北海道では苫小牧だけでなく、釧路や留寿都なども誘致を望んでいる。けれども、経済4団体は「苫小牧」で一本化されていて、それ以外に検討の余地はないとされる。比較的札幌にも近く、船で立ち寄ることも可能な街で、日ハムが“札幌ドーム”を離れて移動する北広島市にも近い。実は日ハムも「ボールパーク構想」というのを打ち出していて、レジャー型の野球場公園の建設を目指している。したがって、ほぼ隣接する苫小牧市にIRが出来れば、苫小牧→北広島→札幌の観光遊戯の広大な地域が出来上がることになる。まだ正式表明もしていないのに、既に苫小牧にはアメリカやカナダの“カジノ大手”が活動拠点を置き始めている。例えば米カジノ大手MGEは3800億円~4900億円を投資して建設する予定で、7000人の雇用も生み出せると試算されている。ここが積極的なのは、アメリカの先住民族と北海道のアイヌ民族とを合わせた“史料館”的なものもアピールしていきたいからだ。確かにアイヌ民族の保存意識が強い白老町も苫小牧にほぼ隣接している。そういう意味では条件的に比較的恵まれている。北海道は夏と冬の観光客数は伸びているのだが、春と秋の観光客数が増えないらしい。したがって季節に左右されない“観光の目玉”が欲しいということなのだろう。さて、最終判断は北海道の鈴木知事に掛かっている。おそらく知事は「GOサイン」を出すだろう。そして、鈴木知事がGOサインを出せば「国」は苫小牧を選出する可能性が高い。鈴木知事は菅官房長官の“秘蔵っ子”だからだ。

「生き方」と「商売」の“はざま”で…

2019-10-12

かつてモデルとして一世を風靡した梨花氏がトータルプロデュースしていた「メゾンドリーファー」全国7店舗が閉鎖された。それに関して本人に直接インタビューした記事が掲載されていた。年商12億とも言われるアパレルブランドを自ら立ち上げ、7年後に自ら閉鎖した形だ。閉鎖理由は、繁盛しなくなったからではない。本人曰く、自らの“生き方”とそぐわなくなったからだ。もう昔の「梨花」ではない。けれども、ブランド「リーファー」のファンは“あの頃の梨花”に代表される“ガーリー(ピンクでふんわりとしたイメージ)”なファッションを求める。自分はもう“ガーリー”を卒業したいのに、ブランドとしての「リーファー」はいつまでもそこから脱却できない。つまり「自分はそこに居ない」ということになる。それを「商売」として割り切ることが出来るなら、自らのブランドであっても、“生き方”とはズレて行っても、求める人たちのために続けていけばよい。けれども、彼女にはそれが出来なかった。今の自分の“生き方”とは異なるものを、自らトータルプロデュースしたブランドで売り続けることが苦痛になった。例えば歌手が自らは望まないような「歌」で“大ヒット”を飛ばしてしまうと、もう“その種の歌”しか歌わせてもらえないようなものだ。そのイメージで“大ヒット”した人物には、どうしても“そのイメージ”がついてまわる。梨花氏の場合、自らの「生き方」をカムフラージュしてまで「商売」に徹せられるタイプではなかった。彼女の四柱命式では月干に「比肩」が表出される。独立して成功しやすいタイプで、そういう意味では自らのブランド「リーファー」は“その証”と言える。但し、彼女の月支蔵干には「劫財」が出てくる。“お金”に自らの魂を売り渡すことは出来ないタイプで、月支蔵干に「劫財」が出てくる人には、そのため苦労している人が多い。“ガーリー”を自分の原点と考えれば、たとえ「もうそこに居ない」としても、それはそれで“抱きしめてあげたい昔の姿”として、微笑ましく捉えることが出来たはずなのだが…。けれども完全に店を閉鎖し終わって、スッキリしたような表情でインタビューに臨んだらしい。過去に執着しないタイプは、迷う中で仕事を続けるより、次の扉を開いた方が良い。私の経験からすると、この種の人達は、仮に“次の扉”を開いてスムーズにはゆかなかったとしても、それを後悔することは100%ない。むしろ、過去に縋りついて苦悩し続けた場合、やはりあの時「切り捨てるべきだった」と告白するケースが圧倒的に多いのだ。

なぜか名前が知りたくなる被害者もいる

2019-10-11

その事件はパリで起こった。被害者は日本人男性30歳。犯人は逃げる際に自分の携帯を落として行った。したがって、もしかしたら犯人は捕まるかもしれないし、盗み取られた腕時計は戻るかもしれない。ただ、こんなことを言うと被害者から叱られるかもしれないが、まるで“ドラマのような事件”であり、それほど同情しなくても良いのかもしれない。なぜなら、30歳で9000万円もする高級時計を身につけていた人物なのだ。おそらく、彼にとって“その程度の被害”は人生を狂わせるようなものではない。そういう事件が、実はパリでは最近頻繁に起こっているらしい。それにしても、どうやって奪ったのか。実は被害者は泊まっていたホテルの玄関の手前で腕時計を奪われたのだ。もちろん、自分の腕につけていた時計である。被害者の失敗は、五つ星のホテルの玄関前でタバコを吸ったことにある。ポケットからタバコを取り出し、ライターで火を点ける。その時、人は一瞬だが両手がふさがってしまう。そうしてタバコをポケットに仕舞おうとした時、男が近づき「すまないけど僕にもタバコを一本貰えないか」と声をかけて来たのだ。こういう時、日本人はあまり警戒心を抱かない。欧米人は無視する人が多いが、日本人の多くは接近してきた人の声掛けに応じてしまう。被害者も気安く応じてタバコを抜き出そうとした。その一瞬を犯人は見逃さなかった。煙草を口にくわえているので声を出せない。素早く腕を掴まれ、その手首から腕時計を外してしまったのだ。一瞬の出来事であり、言葉も発せられない。犯人の手を捕まえようとしたが振りほどかれた。けれども携帯電話だけは落として逃げ去ったのだ。盗まれたのはスイス製の高級腕時計「トゥールビジョン・ダイヤモンドツイスター」という製品で、かなり分厚く大型である。そういう方面に詳しい人が見れば“お宝”であることがすぐにわかる。多分、ホテルを出たときから狙われていたのだ。私は自分自身がイギリスで出遭った集団を思い出す。5~6人が肩を組み、後ろから接近してくる。あの頃は「日本人パスポート」がよく狙われた。陽気に歌いながら接近してくると、奇妙には思っても、自分のパスポートが狙われているとは思わない。後になってバッグのファスナーを開けられていたことに気付いたが、幸いパスポートは無事だった。もう一つ想い出したのはフランス映画で、それこそスリの新米が腕時計を盗み取る訓練をする場面だ。どうやって訓練をするのかというと、テーブルの足に腕時計を巻いて、そこからいかにして早く腕時計を外すか、マジシャンのように素早く外して傍にいる仲間に手渡すか、その訓練を続けるのシーンだ。おそらく、今回の犯人も似たような訓練を重ねていたのだろう。それにしても、30歳で9000万の腕時計を身につけパリの五つ星ホテルに滞在していた人物とは、いったい誰なのだろうか。

「卑弥呼」の先祖は絵がヘタクソ⁉

2019-10-10

私は時々思うのだ。やはり「絵」というのは“上手い人”に描かせた方が良い。ヘタクソな人が描いたものが何千年も経って“貴重な資料”として大衆の眼にさらされる。誰もが、口にこそ出さないが「なんてヘタクソな絵なんだ」と思いながら、それを見る。そこへいくと古代エジプトのレリーフや彫像、古代中国の絵や彫像は一級品である。なぜ違うのかというと、一級品の方は“絵や彫刻専門のプロ”が作成しているからだ。やはり専門家というのはいつの時代でも、どの地域でも、一級品を遺す。実は昨日2019年10月9日に“貴重な発見”があった。近年、卑弥呼関連の史料が色々発見されつつある奈良県の唐子・鍵遺跡の北側に隣接する清水風遺跡から、両手を空中広く高く掲げて、魂に活力を与える呪術を行うシャーマンを描いたと思われる土器片が見つかった。これまでにも弥生時代の祭祈用土器などから19例見つかっている独特のポーズだ。ただ今回の人物には乳房が描かれていることが、これまでとは異なる。ところがだ。ほとんどのマスコミは、その写真を掲載していない。実は描かれているシャーマン女性の絵がヘタクソすぎるのだ。総じて弥生時代の絵はヘタクソである。とてもプロの作品ではない。形として遺しておきたいから描いたのだと思うが、写真公開するほどのものではない。6000年以上前の洞窟壁画でも、上手い絵は上手い。そういう作品は写真掲載したいが、幼稚園児の“殴り書き”と似たような作品は、文字表現だけで十分となる。ただ一説に“卑弥呼誕生の地”という仮説もある地域で「シャーマンは女性」であることを表わしている図が表出した意義は大きい。卑弥呼誕生から300年ほど前の地層なのだ。その当時から既に、その地域では“呪術女性”が集落を率いていた可能性がある。「魂(たま)ふり」とも呼ばれる独特のポーズは、稲に生命力を与えて豊作を願う儀式に欠かせない呪術の“証”だったに違いない。それは、やがて“邪馬台国の運命”を導く呪術へと発展していく。かくして「卑弥呼さまー‼」の女性達は、2000年後の今になって蘇えり、空高く両手を開きながら、各地で「天の声」を告げている⁉

治りそうで治りにくい病気&神仏

2019-10-09

ガンとなった夫に対して献身的に看護していた歌手のmisono氏が、自らも「メニエール」という病にかかってドクターストップが掛かったと告白した。それに関連して、メニエール病に苦しむ芸能人たちの名を列挙している報道があった。misono氏以外にも、ハイヒール・モモコ、GENKING、オール阪神、今井翼、相田翔子、美保純…などの諸氏の名があった。確かに多い。数年前に亡くなった私の義母もこの病気に苦しんでいた。私の占いのお客さんで、以前は健康だった人が、ストレスの多い職場で途中からこの病気を発症し始めた。病状としては回転性のめまい、耳鳴り、吐き気などの症状が表れやすいが、何がきっかけで出てくるか解からないところが、この病気のやっかいなところのようだ。こういう第三者から見て、形としては捉えにくい病気は理解されにくい。本人も、いつ発症するか解からないだけに、思い切った行動がとれない。実は、こういう病気は「占い」の方でもなかなか捉えにくい。まだ「うつ病」等の神経系が少しでも絡む病気の方が判別しやすい。その対処法も、正直なところ、占いでは今のところ手出しのしようがない。内臓系のハッキリとした病気、外科手術を必要とする病気、特殊体質からの慢性病、突発的なケガや事故の可能性…これらに関しては、それなりの判断方法と対処法がアドバイスできる。けれども、この種の身体部位の特定が難しい病気、発症理由のよく解からない病気、対処法の難しい病気に関しては、実質的に「占い」では対応できない。正直、医療以外では神仏に頼るしかないような気もする。世の中には“治りにくい病気”が沢山あって、そういう人達の多くは神仏を頼る。あちこち、お参りに行ったり、願を掛けたり、お祓いしてもらったり、お札を貰ったりする。神仏の中には「これこれの病気に効く」と評判の神社や寺院がある。人は誰でも、医療では治らない病にかかると神仏を信じるようになるのだ。一時期は霊能者とか超能力者とかいう人達に縋る人も多かった。けれども最近は、そういう意味で“奇跡を起こす人”が居なくなった。マスコミもそういう人物を扱わなくなった。実際、そう宣伝している人の多くは“エセ能力者”である。残念ながら、本当に“奇跡を起こせる人”など、日本に数人いれば良い方であろう。占いでもマスコミがこぞって宣伝している占い師に“ろくな占い師がいない”のと同様、本当に力を持った霊能力者や超能力者は大げさなことなど謂わず、自らの使命として着実に人助けを重ねているに違いない。

“横並び社会”が「イジメの学校」を生む

2019-10-08

神戸市の小学校で昨年4月以降行われ続けていた男女教員4人による“後輩20代教員”へのイジメ問題。事件は、今年9月になって被害者教員が学校に行けなくなって、それを心配した家族が教育委員会の方に相談、市教委の本格調査によって全容が把握された。イジメの加害者は同じ教職員で後輩達への指導を任された30~40代の男性3人と女性1人の教員たち。単に「ボケ」とか「カス」とかの暴言だけでなく、ミミズ腫れが出来るほど尻を殴る、同僚の女性教員に対して性的メッセージを送るよう強要する、激辛カレーを羽交い絞めにして食べさせる…など常軌を逸している。その結果、20代の男性教員は学校へ行けなくなったのだ。実は今年6月、同じ学校の別な教員複数から、市教委の方に「イジメが行われている」旨の相談が寄せられていた。そこで学校側に対して“口頭注意”が行われたのだが、校長は「問題は収束した」として連絡している。つまり、校長は加害者教員たちに対し、20代教員たちへの指導を託し、それが明らかに“行き過ぎ”で観かねた教員たちが市教委に連絡したのにもかかわらず、加害者たちに注意さえも与えなかった。これでは被害者教員が学校に行けなくなるのも当然である。本来、小学校は「イジメ問題」にもっとも敏感でなければならない。私が小学生の時、悪ガキ同級生に帽子を沼に落とされたのだが、すぐに母親は学校に乗り込んでいった。日頃、物静かな母親であったが、そういう時は果敢に行動した。あの頃の“イジメ”は今のように陰湿ではなく、人一倍大人しかった当時の私は、母親に頼もしさを感じたものだ。現在は“イジメ”が陰湿化しているのと、集団化しがちなので、学校内での把握が重要になる。そういう時に、生徒同士ではなくて“教員間でのイジメ問題”があったということに、まず驚かされる。さらに、驚かされるのは、校長が把握しながら見逃そうとしていた事実だ。他の教員たち複数から市教委の方へと相談が持ち込まれたのは、よほど見かねた状態だったからである。もはや、それは“教育の場”ではない。けれども私は、これが一つの学校だけのことだと思えないのだ。これほどまでではなくても、似たような学校がいくつも存在している可能性がある。それを防ぐには、校舎内にも防犯カメラを設置すべきだ。そうすれば、自然と“学校内イジメ”は減っていくだろう。現代の日本は“横並び社会”の意識が強く、みんなと同じでなければ“イジメの対象”とされやすい。経済的な圧迫というか余裕のなさが、心の中まで“余裕を失わせている”部分が大きい。だから、ちょっとの違いとかミスとか遅れとかを許さない。みんなが「正しい」と言ったものは正しく、みんなが「へん⁉」と言ったものは変にされてしまう。みんなが「キライ」と言ったものに、自分だけ「好き」とは言わせない雰囲気がある。そういう“それぞれの個性”“それぞれの感性”“それぞれの思考”“それぞれの意見”を封じるところに「イジメ社会」は誕生する。特に「ネット社会」にはそういう風潮がみられる。無記名で“批判できる”形はネット上から無くした方が良い。

「文学賞」は“ノーベル賞”より“新たな賞”が相応しい

2019-10-07

今年も今日7日から「ノーベル賞」の発表が行われる。特に今年は昨年スウェーデン・アカデミー関係者の不祥事によって選考・発表が見合わせとなった「文学賞」を、昨年分と合わせ発表ということで注目が集まっている。けれども、私はかねがね「文学賞」には疑問を持っている。本来、ノーベル賞というのは“科学的な功績”に対して贈られる賞ではなかったのか。もし、本来なら“芸術分野”に属すると思われる「文学賞」を加えるのであれば、絵画などの「美術賞」もなければおかしい。もっと言えば、さまざまな芸術部門「絵画・デザイン賞」「詩・作詞賞」「小説・戯曲賞」「音楽・歌唱賞」「評論・エッセイ賞」「彫刻・陶器賞」「漫画・アニメ賞」「舞踏・映画賞」など種々な分野が存在している。そのうちの小説分野だけを取り上げるのはおかしい。例えばピカソの「ゲルニカ」は“戦争の愚かさを問う作品”である。科学的な形で世の中に貢献するものもあれば、精神的な形で世の中に貢献するものもある。もし、ノーベル賞が「文学」をそれに値するとみなすのであれば「絵画」「彫刻」「映画」「音楽」「舞台」にだって、そういう作品はたくさんあるのだ。さらに「文学賞」の問題は、それ以外にもある。言語の問題だ。例えば日本語で書かれた作品は、英語で書かれた作品に比べて“不利”だと言われる。翻訳出版されても、日本語の“微妙な表現”はなかなか伝わりにくい。さらに「歌」等とも違って、文学には“その年”というものが定めにくい。例えば長編の場合には“どの年”を発表年とするのか、判然としない。これまでの功績というなら、その年ごとに発表する意味もない。さらに、これは文学だけではないが、趣味・嗜好の問題もある。芸術作品は“科学的な功績”のように、客観的な評価というものを与えにくい。例えば何年か前、日本人でイギリスに帰化しているイシグロ氏が「ノーベル文学賞」を得た。その作品は、正直、私には解かりにくかった。何となく“重たい作品”であることは解かるし、複雑なアイデンティティーの中で生きていかざるを得ない人々がいるということは解かったが、それが“世界に寄与する”ことなのかは疑問だった。そういう風に、その価値を客観的に“計りにくい”のが文学である。もちろん、芸術作品として、あらゆるジャンルの中から“優れた作品・作家”を選出するのなら良いとは思うのだが…。文学だけに特化するのが解からないのだ。だから世界的な「芸術のノーベル賞」のような“賞”を早く創設して、そちらの方に回した方が良い。誰かノーベル氏のように芸術分野で“大儲けした人物”は居ないのであろうか。

犯罪者が「命の恩人」になる⁉

2019-10-06

海外からは時々「粋なニュース」というのが飛び込んでくる。例えば犯罪者を追いかけていた警察官が死にそうになった時、その命を助けてくれる犯人というのはどうだろう。昔、私が好きだったドラマ「逃亡者」のようではないか。アメリカの昔のTVドラマには、よくそういうヒューマニズムの精神が描かれた。子供時代に、そういったドラマを観て育った私は、アメリカ人を“そういう人達”だと思っている部分が今でも抜けない。「反日」で育っている子供達は、どういう大人になっていくのだろうか。さて、現実の事件はスペイン南岸沖で起こった。9月4日朝、麻薬密輸の取引が行われているところを警察の捜査船がキャッチした。海上で麻薬取引をしている大型高速モーターボートを追跡し始めた捜査船に対して、容疑者たちが乗った高速船は突然向きを変え体当たりを噛ました。その結果、捜査船が大きく傾き、乗っていた警察官たち3人が海中へと投げ出されたのだ。当時、上空には警察のヘリコプターも旋回していた。このままでは危険と見てヘリコプターから拡声器を使って、容疑者たちに救助を求めたのだ。それに対して容疑者たち4人は要請に応じて海上に放り出された警察官3人をボートに引き上げた。「命の恩人」となったのだ。もっとも、だからと言って“麻薬密輸”が許されるわけもなく、その後になって容疑者たちは御用となった。それでも容疑者たちやその家族は、警察官の妻や子供達から「命の恩人」として感謝され続けるのだ。その「命」を授かった日に“悲劇”が生まれることもある。ノルウェーに住むクリストファー・バーガン氏は、妻の父親が暮らすアメリカのフロリダまでサプライズで訪ねて行った。義父リチャード・デニス氏61歳の誕生日を祝ってあげるためだった。デニス邸に辿り着いたのは午後11時半を過ぎていた。玄関のドアを叩き、その後、敷地内に隠れた。そうして、義父が玄関から出てきたとき、茂みの中から驚かそうと飛び出していった。義父は侵入者と勘違いして自動小銃を発砲、バーガン氏は亡くなってしまったのだ。サプライズの“お祝い”には時として「死の報酬」が待っているという教訓を、この事件は伝えている。

「占星学」と「推命学」は“共存”するか

2019-10-05

私はいつからか、人の“運命”を観る時「占星学」のホロスコープと「推命学」の四柱命式とを併用させるようになった。自分でも、いつからこのような方式を採用し出したのか、正直、よく憶えていない。20年以上前からであることは確実だ。実は私は「西洋占星学」の専門書も「四柱推命学」の専門書も、その両方の専門書を執筆・出版している日本で唯一の占術家だ。これに関しては一部勘違いする方がいるかもしれないので補足しておく。実は佐藤六龍氏が、その両方の本を書いている。彼が四柱推命の大御所であることは論を待たない。何十冊も書いている。少し書き過ぎだが…。さて占星学書の方はどうだろう。実は『太陽占星術入門』という本を1974年に出している。けれども、これは入門書であって専門書ではない。しかも、かなり“大雑把な入門書”である。佐藤六龍氏も、浅野八郎氏と同じく、若い頃には精力的に“さまざまな占術”の入門書を執筆していた。ちなみに、私と佐藤氏の執筆姿勢は“正反対”であり、彼が行間を開け、図解もエピソードも乏しく、無味乾燥な実用書としての記述を心掛けるのに対し、私は極力文字を詰め多数の図解を挿入してぎゅうぎゅう書籍とする。もし、私が佐藤氏のような書き方に変えれば、一冊で四冊分くらいは出来上がることであろう。話がずれたが、私が洋の東西の“観方”を併用するには理由がある。互いに“補い合う”ような要素もあるからだ。実際、こういう観方を取り入れていたのは私が最初ではない。中国では元代~明代(西暦1200年~1600年頃)にかけて「星平会海」とか「星平参合」と呼ばれる観方が存在した。これは「占星学」と「子平学(四柱推命)」とを合わせた観方で“西洋式の占星学”を使う方法と、“東洋式の占星学(紫微斗数)”を使う方法とがあった。私が東洋系の占いで一番最初に身につけたのは「紫微斗数」であるから、最初は「占星学」と「紫微斗数」を合わせようとした。実際、初期にはそうしていたのだ。けれども、紫微斗数は表出するのに時間が掛る。そして一番の問題は“出生時不明”の人に対してはお手上げなのだ。しかも、的中率が悪い。そこで、いつの間にか「占星学」と「推命学」を合わせる現在の観方に落ち着いたのだ。ところで、9月までZOZOを率いていた前澤友作氏が新たな「スタートトゥディ」を立ち上げた。実際には9月に設立していたらしいが、公表を控えていたようだ。これを四柱命式で捉えると、彼にとって今年は「正官・建禄」の年であり、独立しての新会社設立に相応しい運気の年ということになる。これを占星学の方で観ると、9月以降はトランジットの天王星が出生時の天王星に180度の位置に来て、環境上の大きな変革、或いは独立・自立の時ということになる。トランジット惑星的に考えると、昨年の12月頃から徐々にそういう意識が強まっていったのではないかとみられる。ただ最初に起業した1998年5月頃、株式会社に変更した2000年4月頃にはいずれも出生時の金星に対して、好ましいアスペクトがあった。今回はそれがない。「愛と美の女神」が事業に味方してくれるか、微妙な運勢ではある。

「N国党」担ぎ出す豊田真由子&堀江貴文の両氏

2019-10-04

豊田真由子氏も堀江貴文氏も「N国党」から出馬すると決定したわけではない。まだ「その可能性がある」という段階に過ぎない。けれども、N国党を率いる立花孝志氏の方は既に“その擁立”に向けて動き始めている。とにかく立花氏というのは“ユニークな発想”の持ち主であることは間違いなく、しかも山本太郎氏が率いる「れいわ新選組」の“初心者たち”に比べて、実績を持つ“即戦力”を引き抜いている印象が強い。そういう意味では既成政党にとって本当に怖いのは「N国党」であり、その党首たる立花孝志氏であるに違いない。もちろん、今のところ、この党に“引き抜かれた”人達は“過去に問題を起こした人達”で、言い方は悪いが“問題児”ばかりである。まあ党首の立花氏自身が問題児でもあるから、それにふさわしい“仲間”が集まりつつあるともいえる。私は個人的には、別に政治家としてどうこうではないが、せっかくなので豊田真由子氏も堀江貴文氏も「N国党」入りを果たしてもらいたい。少なくとも、こういう“問題児”ばかりを加えようとする立花孝志氏という人物が、運命学的にも興味深いからだ。もし、これらの人物を上手くまとめてゆくことが出来るのなら、それは政治手腕とは別に、人間として立花孝志氏の「器の大きさ」を証明するものになる。或る種、瀬戸内寂聴氏のような「器の大きさ」になる。ただ「NHKから国民を守る党」という党名は感心しない。なんとなく、それだけのために集まる人々のような印象や誤解を与えがちである。だから早急に党名は改めた方が良い。よく企業で、創業当時は諸事情あって“とりあえず”の企業名から出発したが、だんだん規模が大きくなって社会に通用しやすい企業名へ変えていくようなものである。そうした方が、イメージ的なものも含めて“党支持者”の為にも良い。ところで豊田真由子氏は「このハゲー‼」で一躍有名になったが、その暴行疑惑が出た2017年6月22日の段階で、私は次のように記した。《現在トランジットの天王星が出生時の天王星に180度、人心を失い「再出発」を余儀なくされる可能性が強い、危うい運気です》やがて7月になって自民党を離党、その年の10月に衆院選に出馬したが落選。予告通りの人生を歩んだ。けれども、私は、この人が政治家として“不向き”だとは思っていない。いずれは何らかの形で、政治に関わるだろうと考えていた。そういう意味では“良い機会”なのだ。堀江貴文氏の方は、予想外の形で“御用”となったが人気運は衰えず、出所後は精力的に動き回っている。この人は「敵」を作りやすい。それに時々言葉が荒くなる。もし、政治家となるなら、言葉だけはもう少し考えた方が良い。ただ現在のような“混沌とした世界情勢”のなかでは、日本の喧嘩っ早い人たちが少しは必要なのかも…。

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