6月, 2019年

「着物姿」を「KIMONO」の“条件”にすべき

2019-06-30

日本人と日本文化とは、基本的に“奥ゆかしい”ことを要件としてきた。ところが現代は何でも“世界基準”というものが重要視される。その世界基準においては、もはや“奥ゆかしさ”は優雅なる振る舞いとして受け入れられることはなく、理解不能な“自己卑下”や“消極性”のように受け止められる。哀しいことだが「世界」を基準として捉えた場合は“奥ゆかしさ”は棄てなければならない。アメリカの“お騒がせセレブ”の一人として著名なキム・カーダシアン氏が最近立ち上げた“矯正下着のブランド名”として「KIMONO」を商標登録したらしい。その矯正下着からは、日本人のわれわれの眼から見て“着物=KIMONO”的な要素はまったくない。大体、着物は“ボディライン”を不鮮明にさせる衣裳で、矯正下着のようにボディラインを際立たせる衣裳ではない。また「着物」には元々“着物独自の下着”が備わっている。そういう点から考えても、矯正下着のブランド名として「KIMONO」はおかしいのだが、キム・カーダシアン氏はどこ吹く風で、変更するつもりは全くないようだ。これまで“日本文化”に理解ある方達が、さまざまな形で「考え直すよう」進言しているが無駄に終わっている。そこで、個人がダメならと登場したのが「京都市」である。ここは門川大作市長が日常でも着物を着ていて、そういう意味からも“見過ごせなかった”ようだ。「市」として、正式に文書で“再考すべき”と通達するらしい。ただ、これまでの彼女の振る舞いを見ていると“古代エジプト風のドレス”を身につけるなど、明らかに“騒がれそうなこと”を意識した行動が目立つ。つまり、今回の「KIMONO」という名称は“確信犯”である可能性が強い。そうだとするなら、よほどのことがないと変更しないだろう。多くの人は「KIMONO」という名称だけが独り歩きして“着物=矯正下着”のような印象を与えることを怖れている。確かに、1億4千万人のフォロワーがいるらしい彼女にとって、日本的な“奥ゆかしい美”は邪魔者で、この世から排除したい文化かもしれない。どちらかというと“露出度の多い衣裳”を着るケースが多い彼女にとって、世界が「KIMONO=矯正下着」と認識してくれれば「日本の着物」はかき消されてしまう。それが狙いかも知れないのだ。ただ「日本のKIMONO」は既にそれ自体“世界ブランド”である。ここで引き下がることは出来ない。そこで「KIMONO」を使用させる代わりに、彼女自身に公的な場に出る時には、少なくとも「3回に一度は着物を着て出席する」という条件を付けるのだ。そうすれば、自然に「日本の着物」を発信せざるを得なくなる。自分のブランドに「KIMONO」を名乗る以上、そのくらいは“交換条件”として「日本国」として求めるべきである。もし、それが嫌なら別な名称にすればよい。本当は“日本の文化庁”が乗り出すべき問題なのだ。

「ガラスのハート」が崩れ去る時

2019-06-29

「妻の他人を見るような眼に耐えきれなかった」と平聖也容疑者(26歳)は“殺人の動機”を語っている。多分、それだけ。されど、それだけ…。近年多くなった家族間での“殺人事件”の多くには、実は“本当の動機”として、この部分にあるのではないか、という気が私にはする。今月27日に平塚市の海岸に太ももから下がない女性の死体が発見された。下肢部分はなかったが顔が判然としているので、すぐ身元は分かって、平楓吹さん(26歳)と判明する。ほぼ前後して、良心の呵責に耐え切れず自ら出頭してきたのが、夫である聖也容疑者だった。事件そのものは比較的単純で、夫が妻の首を絞めて殺害し、その死体処理に困って、下肢部分を切り落とし、それ以外をスーツケースに詰め、脚の部分は袋に詰め、その両方共に平塚海岸に捨てたというものであった。ただなぜ殺したのかという部分、その動機として夫は「他人を見るような…」妻の眼に耐えられなかったからだと供述しているのだ。おそらく、夫のこの供述に“ウソ”はない。だから、余計に奇妙ともいえるし、怖いともいえる。まず「他人を見るような眼」とは一体、どんな眼か。おそらく、それは“愛情のかけらも感じられない眼”であったに違いない。もしかすると“侮蔑的な眼”であったかもしれない。けれども、われわれは別に“侮蔑的な眼”によって殺されることはない。多少、精神的に“傷つくようなこと”は有るかもしれないが、要するにそれだけだ。世の男性達の多くが、“そういう眼”を既に経験済みである。要するに、そういう夫婦関係や家族関係は、今や特別珍しいものではない。おそらく、彼よりも、もっともっとひどい扱いを受けている、或いは“冷たい眼”で観られながら生活している男性たちは、全国に山のように居る。多分、彼はそのことを知らないのだ。そして、元々壊れやすい「ガラスのようなハート」の持ち主なのに違いない。だからこそ、妻を殺害して、その後に脚を切断し、スーツケースに詰めて夜中に運び出し、海岸に捨てたのに、わざわざそのことを警察に自首して告げたのだ。それくらいなら、どうして殺してしまった時、すぐ警察に電話しなかったのか。おそらく、悔しさの中で、首を絞め、殺して、それでも悔しくて、脚を切断し、スーツケースに詰めて海岸まで運んで、死体を遺棄する時点まで、悔しさとプライドと怒りが勝っていたのだろう。けれども、すべてが終わって、独りになって、誰も居なくなって、自分が妻をいかに愛していたか、いかに大切にしていたか、改めて気付いたのであろう。“愛情”と“後悔”の気持が、自らの「罪」の重さを、改めて悟らせたのだ。近年、増えた“家族間での殺人”。その根本的な動機として「他人のような眼」があるということを、初めて口にしたのが平聖也容疑者なのだ。

欧州を襲う「45度」の恐怖

2019-06-28

昨日ドイツとフランスでは一部地域で38度を記録している。この時期としては異例の暑さだ。けれども、この程度であれば、日本でも時々経験する。ただ「45度」という気温は、さすがに日本でも聞いたことがない。ところが、フランス南部では今月末に“45度予報”が出ているのだ。これはフランスだけの問題ではない。スペイン、ドイツ、スイス、ベルギーなど、フランスを取り巻く諸国でも、同様の熱波予報が示されつつある。実は2003年8月にも同様な現象があって、その時フランスでは15000名もの人たちが“暑さ”のために亡くなった。だから「暑ければ裸になれば良い」とかいうレベルの問題ではないのだ。日本では、それほどの予報は今のところ出ていないが、数年以内に“同じような現象”が起こるとも限らない。だから、今からその対策を練っておくのが、賢い予防法となる。特に東京では来年8月に「オリンピック」が控えている。暑さに慣れている国の人達ばかりがくるわけではない。経験的に誰でも知っているように、暑さとか寒さとかは“慣れ”が非常に有効で、慣れてしまえば40度前後程度であれば、何とかしのげるようになる。人間の身体はその程度であれば、適応できるように作られている。但し、それは、あくまで“慣れていれば”という条件付きなのだ。慣れないと、例えば北海道のように30度でさえも経験することが少ない者にとって40度は“耐え難い暑さ”になる。逆に、その程度であれば年に何度かは経験する地域の人達であれば、一応、“耐えられないレベル”ではない。もっとも、それらの地域でも“45度”となったなら話は別で、やはり“警戒が必要なレベル”に達する。時折、お年寄りの方が節約のため冷房を使わず生活していて、その結果、病気になるとか死亡してしまうとかいう話を聞く。ヨーロッパ人の場合も、必要以上に自然環境を重視する人達がいて、冷房を入れたがらない地域も多い。そうかと思うと、日頃から30度越えの東南アジアでは室内の冷房を極端に下げていて、あれはあれで身体に良くない。われわれのようにデリケートな人種は室内と屋外との気温差にやられてしまうのだ。そういうわけで南フランスにお住まいの方(?)は、どうか冷房を使って月末を耐え忍んでいただきたい。

アントニオ猪木&長州力「燃え尽きた闘魂」⁉

2019-06-27

私は“運命家”であるから、個々のニュースを見る場合でも、常に“人間の運命”という観点から見る。したがって、一見、全然別の出来事や事件であっても、そこに「偶然の一致」では済まされないものを感じることが多い。例えば、昨日、アントニオ猪木氏は“政界引退”を公表し、長州力氏は“レスラー現役引退”を公表した。もちろん、政界とスポーツ界で今は“異なる世界”に身を置いている二人だが、元々は同一のリングに上がり、火花を散らした二人でもあった。長州氏は猪木氏の背中を追いかけ、プロレスラーとなり、やがてライバルにまで成長した。どちらも「燃える闘魂」の持ち主で、特に猪木氏は日本の高度成長期に合わせるかのように、さまざまな話題を振りまき「プロレス」をメジャー・スポーツに押し上げた。力道山という下地はあったものの“日本のプロレス”を“世界のプロレス”にまで高めた立役者であることは間違いがない。政治家・猪木氏としての功績は、何と言ってもイラク戦争の時に単身乗り込んで交渉し、日本の人質41人を解放したことにある。正式な手続きを踏まないため疑惑を持たれたり、批判されることも多い猪木氏だが、その行動力と先見性はもっと高く評価されてよい。一方の長州氏はメキシコに行って後、大きく変貌した。長髪でサソリ固めやリキラリアットを繰り出すファイトは当時として新鮮だった。多くの後輩から慕われているという点で群を抜いている。この二人が、同じ日に「現役」を去った。同じ日と言えば、WBO世界スーパーフライ級王者の井岡一翔氏が元モデルの一般女性と再婚したことを報告した。同じ日、元妻である谷村奈南氏の方は“ヨガの指導者課程”を修了し、ハイレベルの指導資格を得ることが出来たと報告している。それぞれの「新たなる出発」が、この日に始まった。そして、もう一つ、かつて「ダブルユー」として一世を風靡した辻希美氏と加護亜依氏が久しぶりに「ダブルユー」として生番組に出演したのだ。辻氏の方は4人の母親、加護氏の方は2人の母親となっていた。かなりのブランクがあるが「双子のように息が合っていた」と楽しそうだ。同じ日、かつてのモーニング娘。同グループに身を置いた市井紗耶香氏の方は参院選に立候補することを正式に発表した。みんなそれぞれが偶然にも同じ日に“新たなる船出”を迎えた。示し合わせたものではなくて、単なる“偶然”である。けれども、本当にそうなのだろうか。“運命の鐘”が鳴り響いて招集された「運命の児」「宿命の玩具」が何も知らされず、記者たちに取り囲まれた“そういう一日”だったかもしれない。

最新クルーズ船は魅力でも6500名はちょっと…

2019-06-26

船と言ってもさまざまな船がある。われわれ一般人が乗ってみたいと思うのはクルーズ船くらいのものである。最近のクルーズ船は比較的安く、さまざまなコースや価格や日程なども用意されていて、昔のように“お金持ちの旅”ではなくなった。こんなことを言うと中国人に失礼だが、世界的にみると、中国人たちがクルーズ船を多く利用するようになって、船内マナーのようなものも緩和されつつあるような気がする。何しろ中国人には表現は悪いが“マナーなどクソくらえ”的振る舞いが多い。私は以前、海外の五つ星ホテルのロビーで、ソファの上に土足のまま脚を乗っけて休んでいる中国人を見掛けたことがある。せめて靴を脱ぐくらいはしてほしいものだ。カジノ内でも短パンでスリッパをひっかけたまま興じている人たちもいれば、カジノに子供達を引き連れている人たちもいる。そういう人達のおかげ(?)もあって、最近は昔ほどマナーをうるさく言われなくなった。昔は海外でディナーの服装などもうるさかった。考えてみれば、ヨーロッパで培われた伝統をそのまま“世界のマナー”として押し付けるのもどうかなという気もする。ところで、24日に「マリンポートかごしま」へとやって来たのは世界最大級のクルーズ船、スペクトラム・オブ・ザ・シーズである。何しろ今年4月から本格周遊し始めた全長347メートルの巨大な船だ。客室5000名を迎え入れる。それに乗員が1500名も加わるので総勢6500名が乗っていることになる。同じ船の中に6500名もいたなら、いったん、迷子になったなら中々発見できない。その代わり、いつも同じメンバーと顔を合わせるという“煩わしさ”もない。レストランだって18か所もある。これなら食事も選び放題ということになる。鹿児島に寄港した船の場合は、観光客のほとんどは中国人らしい。まあクルーズ船に乗って来る中国人なら、それなりのマナーは心得ているかもしれない。このクルーズ船の“売り”は、カプセル型展望施設「ノーススター」スカイダイビングの擬似体験ができる「アイフライ」船上でサーフィンが楽しめる「フローライダー」バンジートランポリンの「スカイパッド」などなのだが、何となく昔の風情ある“船上の旅”ではなくなっているようで、やっぱり、もう少しこじんまりしたクルーズ船の方が“癒される”ように感じるのは私だけだろうか。

“切り捨て”すれば企業としてOKなのか

2019-06-25

遂に吉本興業が「闇営業」に出演していた宮迫ら11名の芸人を当分の間“休業自粛”の処分に踏み切った。そのこと自体は評価できるが、なぜ企業としての“謝罪会見”は開かないのか。本来であれば、社長などと共に11名を並べての“謝罪会見”が行われてしかるべき問題である。もちろん“闇”であるから、会社そのものは関与していなかった、というのは解かる。けれども、そういう場合でも、反社会勢力との関りが発覚したような場合、大企業というのは“謝罪会見”を行うのが通例である。何しろ、ほとんど毎日、TV画面に出ていたようなメンバーたちなのだ。特殊詐欺事件の被害者の多くは、TVを毎日楽しみにしていたお年寄りたちなのだ。例えば何らかの「不正」が発覚した場合、一般企業の場合、たとえそれが部下であろうと子会社・関連会社であろうと、社長など幹部は知らなかったとしても、社会的責任として大企業は“謝罪”しなければならない責任を持っている。今回の場合、TVのワイドショーなども「徹底的に追及する」という姿勢を示さない。山口真帆氏の問題ではあれだけ騒いでいたTVのワイドショーが、自分たちが直接関わっている吉本興業という“視聴率の恩人”に対しては追及の手が生ぬるい。もちろん、無関係な吉本の芸人たちが多数いる。本来であれば、ただの一回だけ、自分たちの与り知らぬところでだけ行われたのであれば、無関係な芸人たちの為にも「今回の件以外にはただの一度もない」と断言すべきである。果たして、社長や重役たちは、それが出来るのであろうか。もしかすると「ただの一回だけ」「気付くようなことは一度もなかった」と断言できないから、会見を開けないのではないだろうか。実際、一部の芸人は「闇営業なんてみんなやっている」と語っている。もし、そうだとすれば、企業として“見て見ぬふりをしてきた部分”もあるのではないのか。私は“闇営業”そのものが問題というよりも、反社会的勢力だということを知っていて、そこからの依頼に応じていた可能性が一番の問題であるような気がする。かつて吉本興業は、反社会的勢力と関わったということで島田紳助氏を事実上TVから追放した。けれども今回の一連の報道を見ると、興行の世界において反社会的勢力との関係を完全に断ち切るのは難しいのではないか、という印象を持った。お年寄りたちを対象にした「特殊詐欺」は“手を変え”“品を変え”今も続いている。無意識だったとはいえ、それらの人々を後押しするような“芸人”を野放しにしてはならない。

「ホクロ」は身を助ける⁉

2019-06-24

「芸は身を助ける」という諺がある。確かに、何かしらの芸を持っていれば、何とか生きていくことが出来たりするものだ。では、何も“芸”を持っていない人の場合はどうだろう。時には「ホクロが身を助ける」こともあるのだ。かつて活躍した「髭男爵」という二人組を憶えているだろうか。ワインを片手に「ルネッサンス」と乾杯する。要するに、それだけの“つまらない芸”を売り物にしていた。二人のうち、文字通り髭面の山田ルイ53世氏の方は、ブームが去った芸人たちの“その後”を追った本をまとめて注目を浴びた。謂わば“芸人評論家”のような立場を確立しつつある。さて、もう一方の目立たない人物「ひぐち君」の方はどうなったのだろう。忘れるともなく忘れていたが、どっこい生きていたというインタビュー記事を読んだ。それも今や「日本のワインを愛する会」の副会長という要職についていたのだ。名目だけの副会長なのではない。2015年に難関である「ワインエキスパート」の試験に合格し、今やプロのワイン鑑定士でもあるのだ。そして、そういう方面からの仕事がほとんどに変わりつつあるという。見事な転身。けれども、これは偶然ではない。彼には法令線の内部、人相学上で「食禄」と呼ばれる鼻・口・法令線で囲まれている領域内に大きなホクロがある。このホクロは俗に「ご馳走ボクロ」とも呼ばれて“飲食”に縁の深いホクロなのだ。アスリートである高橋尚子氏や池江璃花子氏なども同じ場所にホクロがある。こういう人は飲食に関連する“商売”をすれば必ず成功する。ただ昔から「居候を置く人の相」とも言われていて、そのため余分な出費がかさむのが常である。ひぐち君の場合も、芸能界一の“ウサギ好き”だそうで、そのための出費が多いに違いない。それにしても、お酒をほとんど飲まなかった彼が「ワインエキスパート」の資格を取るために必死でティスティングの訓練を行ったと述べているが、その結果として難関の試験を突破することが出来たのだ。「食禄」にホクロのある人は、昔から「喰うに困らない相」とも言われて困っても誰かが食べさせてくれる。彼の場合には先輩であるカンニングの竹山氏がいつも奢ってくれたらしい。昔の日本では上流階級の家庭では、常に女中や運転手や門下生などを自分の屋敷内に住まわせた。そういう人に多かったホクロでもある。首相であった伊藤博文氏なども食禄に目立つホクロがあった。そういう意味では文字通り「おいしいホクロ」が“食禄のホクロ”なのだ。

午前中に2400回の雷が「夏至」を祝った⁉

2019-06-23

昨日は2019年の「夏至」である。「夏至」というのは、本来なら一年中でもっとも日照時間の長い日だ。ところが、昨日の札幌はほぼ一日中雨だった。雨だけならまだ良い。朝早くから「雷」を伴っていた。それも連続的に続いて切れ目のない雷。きわめて珍しい。午前中だけで北海道では2400回もの雷が生じていたらしい。正に「雷様の日?」そう思いたくなるような一日だった。通常、日本では北海道の緯度が一番高いため、夏至の日には北海道の日照時間が一番長い。16時間以上も太陽が出ている計算になる。それが、昨日の場合はほんの一瞬、晴れ間が見えた時があったが、確かに日の光が差し込むかに見えた時があったのだが、あっという間に消えてしまった。まあ人生上の“幸運”の訪れに…似ているような…似ていないような。とにかく、そういう「令和」最初の「夏至の日」ではあった。よく「北海道には梅雨はない」というが、近年はそんなことはない。間違いなく北海道にも「梅雨」は存在する。なぜ、気象庁が実際に即して変更しないのか、不思議な気がする。北海道だけでなく、日本国全体の気象が変化してきているのは誰でも体感的に感じているだろうに、昔のまま日本の気象は語られ続ける。占いでもそうなのだが、実際に多数の人達を占っていけば、これまで“正しいとされてきた学説”に誤りがあることは誰でも気づく。もし気付かない方がいるとするなら、そういう方は「占い」に向いていないのだ。ところが、それでも、ほとんどのプロ占い師の方は“過去の学説”を捨てない。「本当は正しくないかもしれない」と思いながらも、古典的な学説にしがみつく。「この学説は誤りだ」という勇気を持てないのだ。例えば、四柱推命で「大運法」とか「行運法」とか呼ばれる“十年ごとの運気”の鑑定方法がある。この大運の観方など、まず、占い以前の話として、現代において「十年ごとに運勢が切り替わる」という考え方自体、どうして問題だと思わないのだろう。この目まぐるしい変化の時代において、今から千年以上も前に確立された“十年ごとの運勢変化”という捉え方。確かに、人間には“大きな運の流れ”があることを私も否定はしない。けれども、それが“十年間”ときには“二十年間”同じで、その間はどう頑張っても「どうすることも出来ない」という考え方を、受け入れる方がおかしい。しかも、それは男女間で“真逆に動く”という特徴を持っている。では、途中で性転換したなら、運勢も真逆に変わるのだろうか。誰も、このようなことに関しては教えてくれない。特に四柱推命の研究者には“古典支持派”が多い。古典を支持するのであれば、どういう疑問に対しても解かるように回答しなければならない。それが出来る“権威者”が、日本人でも何人でも構わないが、果たしておられるのであろうか?

私に近づくと「運命」が変わる⁉

2019-06-22

人にはいろいろ不思議な“ジンクス”のようなものがある。私の場合、私に深く関わった人たちの多くが「運命」を変えていく。単に“運”が良くなるとか、悪くなるとかいうことではなくて、職業とか生活とか住居とか“人生そのもの”が大きく変わっていく。つい最近も、私が占いを教えていた方が職業や住居を変えた。その方は、変えるつもりなんかなかったんですけどね、と言っていた。そういうケースが圧倒的に多い。自分が意図していたのではない形で“新たな運命”が始まっていく。もちろん、私も、占いを教える方達の“人生を変えよう”などという気は毛頭ない。第一、変わってしまうと、占いの生徒さんの場合には“授業を継続する”ことが出来なくなるケースが多い。けれども、住居が東京に変わるとか、仕事が不規則な職業に変わるとか、新たな店の立ち上げを任せられてしまったとか、神社の再建をしなければならなくなったとか、親の介護をしなければならなくなったとか、さまざまな理由から、その人の人生が変わっていく。もちろん、プロ占い師に変わっていくケースもある。去年まで教えていた藤野真帆氏は、その後“占い師のユーチューバー”となり、既に7000名以上のチャンネル登録者数を持つようになっている。或いは隈本健一氏・叶レオナ氏・鮫島礼子氏のように“占いコンテンツ”で活躍する人たちもいる。またマザー紅竜氏や紗羅氏のように“占い教室”の講師として活躍する人もいる。さらに石倉康子氏や優月寿円氏のように“占いハウス”を経営する人たちもいる。人は、それぞれ才能の質が違っているので、自分に合った方法を見つけ出すことで“幸運を手繰り寄せるべき”というのが私の持論だ。だから、そういう意味では、どういう方法であってもかまわない。マリー・ルウ氏や三貴氏やパーム桃子氏のように飲食店と併用させる形で“占いを実占”している人たちもいる。愛川千景氏のように“占いのHP”を充実させていくことで、地道に輝いていく人もいる。下妻卓氏や小嶋ルイ氏のように“チャット占い師”や“電話占い師”として活躍するケースもあれば,HANA氏のように“セラピールーム”として繁盛させる場合もある。とにかく私に占いを学び始めると、止まっていた人生の歯車が思いもしない方向へと動き出すことは確かなようだ。

大人しそうでも大人しくない「耳」&「鼻」

2019-06-21

今から十年前に一人の女優が孤独死をした。かつて「お嫁さんにしたい女優№1」と言われた大原麗子氏である。確かに声質も含めて“暖かく優しい雰囲気”を持っていた。けれども、その晩年は決して恵まれたものではなく、実の弟に“孤独死”を発見されるまで誰にも看取られることなく、この世を去ったのだった。昨日、その特集番組が放映された。私は直接見ていないが、ネット上に掲載された彼女の横顔写真を見て、改めて思うところがあった。彼女は、確かに一見大人しそうな美人顔なのだが、耳の内郭が飛び出している。こういう人は男女とも自己主張が強い。自分の“生き方”というものに対して、或る種の“信念”を持っている。そして、その部分に関しては決して妥協しようとはしない。彼女は「女優」と呼ばれることを嫌った。自分は「俳優である」という意識が強かった。自分の“役どころ”に関しても、納得しなければ決して出演しようとはしなかった。彼女でなくても、耳の内郭が外輪よりも突き出ている女性は、自意識が強い。いわゆる“枠の中に納まらない”傾向がみられるのだ。したがって、男性と結婚した場合、相手男性である夫が妻に対して“家庭の役割”を押し付けたりすると、猛烈に反発する。大原麗子氏の場合も、二度結婚しているが、二度とも長く続かなかった。彼女だけでなく、耳の内郭が突き出ている女性は、相手が“自由にさせてくれる人”なら良いが、そうでなければ長続きしないのが普通なのだ。もう一つ、これは大原麗子氏は異なるが、鼻の鼻柱上部が少し“突き出ている”女性も、結婚生活ではなかなか収まり切れない。極端に突き出ていなくても、真横から見て鼻筋に盛り上がり部分がある場合、これはプライド高く“向こうっ気の強い相”で、相手に“譲る”ということが出来ない。「負け」を認めることのできない性質を持っている。こういう鼻こそ、俗にいう「鼻っ柱が強い」人物の相なのだ。したがって、何かで対立した場合、決して自ら“仲直り”しようとはしない。家庭内においても同様で、相手が余程やさしく“かかあ天下”にしてくれる協調型の男性でないと結婚生活は継続しない。もっとも、この鼻柱の途中が突き出す相も、耳の内郭が突き出す相も、共に「美人」を輩出しやすい。だから多くの男性達が寄って来やすいのだ。しかも表面上は“大人しそうに見えたり”するケースが多い。けれども、決して本質的に大人しくも、従順でもない。自分の主義主張に関しては、決して“引き下がる”ということのない“負けん気の強い”女性たちなのだ。

十代半ばで「栄光」を掴むことの悲劇

2019-06-20

多くの人達が思っているように、人は生まれながらに“大きな差”を持って生まれているわけではない。実は9割以上の人達は“ほとんど差のない生れ”なのだ。ここでいう「差」とは“運命的に”という意味でである。つまり、そんなに変わらない。ただ“違っている”ように見えるだけなのだ。例えば昨日、モントリオール五輪に日本女子体操の“若き星”として参加・活躍した岡崎聡子選手が4月下旬に「覚せい剤逮捕」されていたことが明らかになった。今回で14度目の逮捕・起訴らしい。多くのマスコミは「転落した人生」という風な書き方で報道する。確かにその通りではあるが、もし彼女が15歳でオリンピックに出場しなければ、マスコミがこぞって「和製コマネチ」などともてはやさなければ、もっと違った人生になっていたことだろう。もちろん、覚せい剤で14度も逮捕されるのは本人の意志の弱さからである。彼女を擁護することは出来ない。けれども、あまり自覚のないままに十代半ばから“華やかな栄光”を与えられたり、“熱狂的な人気”を得たり、予期せぬ“巨富”がもたらされたりすることで、何かが“狂っていく”人達は多い。昨日は、もう一人人気ユーチューバーのワタナベマホトも“傷害により逮捕”されていた事実が発覚した。この人物も、十代半ばから活躍し、熱狂的人気や巨富を得て来ていた人物だ。特に現代が恐ろしいのは「人気」も一気に拡散するが、悪い噂とかトラブルのニュースとか事件とかも一気に拡散しやすい。したがって俗にいう「シンデレラ物語」が誕生しやすいのだが、何か問題を起こした時のバッシングも半端なものでは済まない。人間というのは、ちやほやされるのは慣れていなくても或る程度対応できるのだが、批判・中傷・誹謗を浴びるのは、よほど精神的に強靭でもなければ耐え続けることが出来ない。近年は“アイドル量産時代”で十代半ばから比較的簡単にTVや雑誌やweb上に登場出来る。そして何らかの“ユニークな部分”が注目を浴びると、一気に人気者となることも夢ではない。但し、実力を伴っていない人気というのは長続きしないのが定番だ。幼い頃から、その分野における才能を発揮するとか、技術を磨いてきたとか、努力を重ねてきた人達は別として、そうではないのにマスコミから注目を浴びたり、世間的に人気が出てしまったりすると、その後どうすれば良いのか、本人の中で迷いや重圧が生じるのは当然のことなのだ。けれども周りの大人たちは誰一人、その部分をフォローしてはくれない。「和製コマネチ」として持ち上げ、タレントとして“人生を狂わせた”のは誰なのか、マスコミとか芸能事務所とかの存在や在り方が、改めて問われる。

直木賞候補が「女性だけ」の哀しい理由⁉

2019-06-19

毎年、注目を集める「芥川賞・直木賞」の候補作品。今回、直木賞の方は候補作に選ばれた6人全員が女性であることが注目を集めた。これは両賞が始まって以来のことであるらしい。かといって、選出されている女性作家たちが、特別有名だったり、華々しい活躍の女性達かというと、そうでもない。というか正直に言えば、私は失礼ながらどの方も名前すら、よく知らない。一応挙げておくと、朝倉かすみ、大島真寿美、窪美澄、澤田瞳、原田マハ、柚木麻子の各氏である。まあ私は最近ほとんど小説を読まないので、知らないのは当然と言えば当然のことなのだ。ただ昔は“直木賞候補作家”と言えば、人気作家として知られる方が、少なくとも大衆に名前を知られているような方が一人や二人は居たもので、そういう点で少し寂しい。もっと寂しいのは、文字通り“男性小説家”が一人もいないことだ。これは、男性達が小説を書かなくなったからだろうか。それとも優れた小説を書ける男性新人が出ていないからだろうか。私はそうは思わない。多分、これは日本の現状と深く関わっているのだ。つまり、紙書籍としての単行本が売れないからである。最近、ベストセラー作家であった百田尚樹氏が「小説家引退宣言」をした。ネット上では「閉店セール商法じゃないの」という見方もあるようだが、小説としての良し悪しは別にして男性小説家がまた一人消えることになる。彼のようなベストセラー作家であれば、巨富を得ることは出来る。けれども多くの小説家は“出版界不況”の影響をもろに受けている。つまり小説を書いても売れないのだ。売れなければ、当然のことながら収入は乏しい。何を言いたいのかというと、男性作家は女性作家とは異なり、生活がかかっているということである。もちろん、その点では女性作家も同様なのだが、ちょっとしたバイトやパート勤務などは女性の方が得られやすい。男性は“若手芸人”のような仕事であれば別だが、基本的に机に向かってじっくり時間をかけて書かなければならない本格的な小説は、アルバイトの片手間に出来るようなものではない。したがって“本が売れない時代”に「小説家」を目指すというのは、なかなかに勇気のいることなはずなのである。昔なら、TVのコメンテーターとか週刊誌のコラムなども作家が担当するのが常だったが、現在ではタレントや芸人が“その席”を奪っている。小中学生たちが憧れの職業として、ユーチューバーは入っても小説家は入ることがない。言い方としてはあまり良くないが“時代遅れの職業”になってしまった感が否めない。もっとも、そういう意味では“占い師”だって同様で、近年は男性占い師はどんどん減っている。占いの鑑定料金が低下傾向にあるからだ。さらに、もう一つ決定的なのは、若い人たちが昔ほど「占い」そのものに興味を持たない時代になりつつある。一つには、占い師の中に“本当に予言できる占い”を追求しようとする姿勢が希薄な傾向がみられる。だから、占いそのものの“価値”というか“地位”というか、それを占い師自身が下げている人たちが出てきている。つまり、“芸人枠の一つ”として「占い師」が存在しているかのような扱いを、芸能事務所などに属している占い師が率先して行っている。われわれは“お飾り”ではない。真摯に悩む人たちの“救世主”でなければならないのだ。

「聖なるガンジス」にマジシャンは消えた⁉

2019-06-18

俗に「脱出マジック」と呼ばれているものが有る。マジシャン自身が両手両足を鎖に繋がれ、水槽とか地底の箱に入れられて、時間以内に脱出できなければ“命はない”という危険なマジックだ。日本では昔、初代・引田天功氏がよく行った。“UFO特番”や“心霊特番”と並んで70年代~80年代の視聴者たちを惹きつけた。私がまだ二十代の頃でドキドキはらはらしながら見守ったものだ。近年、再び「脱出マジック」が世界的に注目を浴びている。6月16日、インドで行われた「脱出マジック」に挑戦したのはジャドゥガル・マンドレーク氏(40歳)で、ガンジス川の分流に防弾ガラス箱の中にロープと鋼鉄の鎖で手足を縛られたまま入り、家族、報道陣、警察が見守る中、クレーンで釣り降ろされた。脱出前の話では21年前にも同じようなことをして、その時には29秒かからず脱出できたと自信満々だった。その一方で「鎖が解けたなら魔法だ。もし解けなかったなら…悲劇だ」とも語っていた。そして、魔法はどうなったのか、聖なるガンジスの川に消えたままマジシャンは今のところ生還していない。現地の警察が必死で捜索中なのだ。マジックには当然のことながらトリックがあるが、すぐに見破られてしまうようなトリックとか、危険がないようなマジックでは本人も観客も納得しない。プロ意識が強いマジシャンほど、ぎりぎりのところまで追い込んで臨場感を出そうとする。もちろん、ちょっとでもハプニングが起こるとマジックは失敗し、生命の危険にさらされる。過去には、イギリスのマジシャンが「弾丸受け止めの術」で死亡したことがあり、炎の中に消えるマジックでガス爆発が起こって死亡したこともある。「生き埋めマジック」で失敗し瀕死の重傷を負った例もあり、「水槽脱出」で出られなくなって死亡した例もあり、「人体切断イリュージョン」で自ら妻を死亡させてしまったケースもある。日本では二代目の引田天功氏がイリュージョンに失敗して重症を負った例もある。最近の日本は、スケールの小さなマジシャンばかりで、80年代のような“危険を伴うマジック”はもはや観られない。小手先のマジックも、それはそれで楽しいが、本当のドキドキはらはら感はそこにない。若くして亡くなった初代・引田天功氏のようなスケールの大きなマジシャンはもう出て来ないのだろうか。ガンジスに消えたマジシャンが生還できるかは疑問だが、彼自身は「悲劇」に納得しているのではないだろうか。

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