2月, 2019年

「俺、地球人だし…」を流行らせよう⁉

2019-02-19

アメリカ大リーグで活躍するダルビッシュ有氏に対して、ツイッター上で「イラン人」という表現を使った投稿者に対して「まず俺日本人だし、ずっと日本で育ってきてるから、冗談でも日本人じゃない的な言い方をされるとうれしくないよなぁ」と反応し、続いて「そもそも完全な純血ってどれぐらいいるんだろうか」と疑問を投げかけている。なるほど、彼自身はそういう風に思っていたのか。私は日頃の彼を良く知らないが、何となくの印象で言えば、高校球児として騒がれ出した当初は“田舎もん”的な雰囲気が強くて、どちらかと言えば“無口な少年”のように思えた。日ハムに入った当時も、東北訛りが抜けていなくて“素朴な青年”という印象だった。それが、いつの間にか美女と結婚し、日ハムのエースとなり、離婚して話題となり、優秀な成績で大リーグへと旅立った。そして大リーグでも活躍して外見的にも逞しくなり、その発言も明確になっていった。再婚相手も意外だったが、今度は順調なようである。この頃から、おそらく一般の日本の方達にとってはダルビッシュ氏の「明確な物言い」が、時として“日本人離れ”しているように感じられ始めたに違いない。けれども、人は年齢によっても、暮らしている環境によっても、性格を徐々に変えていく。彼が少しづつ“アメリカ的な個性”を身につけたとして不思議ではない。それこそが、おそらく「イラン人」との“斜め的な観方”になったのだろう。そして、そういう観方に対して「俺日本人だし…」と反論したところが大変興味深い。人種のルツボである「アメリカ」の中で、彼は「日本人」として「世界のサムライ」として頑張っているのだ。日本から世界に飛び出して活躍する人の多くが、嫌でも「日本人」を意識する。そして一度は「人種」や「民族」というものを考えさせられる。人種差別が横行する国では、それが当然なのだ。特に今のアメリカは「アメリカ第一主義」を旗印に掲げる大統領が仕切っている。いや、アメリカだけではない。ヨーロッパでも、それぞれの国が「人種」や「民族」というものを改めて重視し始めている。これに「宗教」というものも絡んで、近年までは当然のように叫ばれた「世界は一つ」という表現がしぼみつつある。どこをどう探しても「世界は一つ」になれそうもない。私なども「地球人」と「宇宙人」との間に産まれたハーフだが、ずっと「地球人」だと言い張ってきたが、もう、そろそろ限界なのだろうか。

「聞き流す」ということが“出来る人”“出来ない人”

2019-02-18

こういう事件が起こるといつも思う。人の性格は、それこそ死ななきゃ変わらない。だけど何年も、何十年も、同じことで悩み苦しみ続けるくらいなら、一応、その努力だけでもすれば良いのにと…。昨日未明、大阪の岸和田市で65歳の妻が74歳の夫を殺してしまった。理由は単純で、自宅で夫を介護してきたが、いつもいつも小言を言われ続けて我慢がならなくなったのだ。そして、とうとう寝ている夫の口に、枕を押し続けていたら動かなくなった。我に返り「夫を殺してしまった」と、自ら110番通報した。典型的な“介護疲れ”による殺人事件である。そうではあっても、殺人は殺人である。この女性は、きっと真面目な性格だったに違いない。真面目な性格だから、夫の小言を“聞き流す”ということが出来なかったのだ。病人というものは、概して“我が侭”なものである。それは病気で不自由な部分があるので、或いは思うようにならないので日々ストレスが溜まる。そのストレスを自宅介護の場合には、家族に向けることで発散しようとする。もちろん無意識なのだが、結果的にそうなってしまうケースが多い。最初の内は“病気だから仕方がない”と思っていた介護する方も、しだいに自分にばかり“当たり散らされる”ことに我慢がならなくなってくる。さまざまな理由から“自宅介護”を選択するのだろうが、その結果が夫婦・親子・兄弟による“殺人事件”に発展するなら、多少の犠牲を払ってでも病院や施設に入る形の方が良い結果となる場合が多い。特に夫婦間の場合、親子・兄弟以上に愛憎が絡んでくる。だからトラブルに発展することが多い。もし、どちらかが“聞き流す”ことの出来るタイプであれば、多少の喧嘩はあっても元に戻れる。ところが、どちらも真面目で“聞き流す”ということが出来ない夫婦の場合、徐々に憎しみだけがエスカレートしていく。どちらにも“相手を思い遣る”余裕がなくなってしまうからだ。或る種の“義務感”や“犠牲者”としての意識ばかりが強くなると、最初の頃の献身的な精神は消えていく。日々の小言など、本当は“聞き流す”ことが出来れば済むことなのだ。悩み続けるくらいなら、少しは「じゃあ、聞き流す努力をしようかな」と思えば良いのだが、総じてこういう人達は、自分の正しさを主張する。正しくても、引いてみた方が良い場合もあることを、決して認めようとしない。こうして、徐々に「殺す以外ない」の発想となる。

「ヘイトクライム」で人生を棒に振る人達

2019-02-17

近年、徐々に浸透しつつある思想の一つに「ヘイトクライム」と呼ばれるものがある。これは特定の“属性”を持つ人々や集団に対して“偏見”や“増悪”を抱いて、それが犯罪行為にまでエスカレートしていくような場合を指す言葉らしい。もしかしたら、その最適の事例となりそうなのが2月9日に20歳の医大生が“殺人容疑”で逮捕された事件だ。彼は昨年12月18日、大東区のホテルに1人の“派遣型風俗嬢”を呼び出した。指名されたのはタイ人女性のセーンネ・バニダさん(18歳)。ところが、医大生・四十宮直樹(よそみやなおき)は彼女に対し、購入してきたばかりの金属棒トルクレンチで思い切り叩き始めた。その結果、彼女は絶命したのだ。当然、その途中で彼女は逃れようとした。大きな声を出した。その異変に気付いた従業員が部屋に上って来たので、容疑者は5階の窓から外へと飛び降りたのだ。もちろん彼自身も大怪我をして、救急搬送された。重症だったが命に別状はなく、回復を待って2月9日に逮捕されたという事件だ。彼は殺す意識はなかったが“叩き過ぎて”結果的に亡くなってしまったと供述している。つまり、最初から“暴行目的”で呼び出していたことになる。なぜ“暴行目的”だったのかと言えば、アジア人女性が日本に来て風俗店に勤め、高額報酬を得ていることが許せないという意識があったからだ。もしかしたら、違法就労ではないか、という思いが加わっていたのかもしれない。それにしても、あまりに短絡的で幼稚な発想である。まず“日本人女性”なら許せても“アジア人女性”なら許せない、という考えがよく解からないが、これこそがまさに「ヘイトクライム」なのだろうか。アジア人女性を“下層階級の女性達”とでも見ている部分があるのかもしれない。或いは、本当は女性そのものが風俗によって“高額収入”を得ることを許せないのかもしれないが、日本女性に手出しをしたらすぐ捕まるが、外国女性なら逃げ通せるとでも思ったのか。もしかすると、もっと簡単に殺せて、もっと簡単に、逃げ切れると思ったのか。本人は「殺意はなかった」と言っているが、それなら何故ホテルに行く直前に“凶器”を購入したりしたのか。もし思想的に思うところがあるのなら、直接、言葉で指摘すれば良いことではないか。或いは、暴行だけは加えたいというのなら、素手で殴れば良い。“凶器”を購入してきた時点でアウトなのだ。そして何よりもアウトなのは、医大生でありながら、一人の女性を暴行したくらいで“世間の観方が変わる”とでも思ったらしい行動の仕方にある。しかも、その単純さで、自らの一生だけでなく、被害所女性やその家族、さらには自分の家族をも巻き込んで十字架を背負わせたことである。

「法律改正」が間に合わなくなる日

2019-02-16

或るTV番組で「昭和」の時代には存在し「平成」の時代には“見かけなくなった品物”を特集していた。確かに、そういうものは多い。そして、それらの多くを私は見忘れていて、どういう役割を持つものだったのか、分からなかった。人は、それを見掛けなくなったり、使わなくなったり、必要がなくなったりすると、徐々に“忘れてしまう”ように出来ているらしい。新しいものが、どんどん“生まれて来る”のだから、それについていくだけで精いっぱいだともいえる。しかも、新しいものの“生まれて来る”サイクルが近年どんどん早くなっている。人間の頭脳なんて本来受け入れられる容量が決まっているのだから、次々忘れていかなければ新しいものが入らない。近年はあらゆる面で“世の中”の変化や流行や盛衰の流れが急速に過ぎる。そこで“置いてきぼり”にされがちなものが出て来る。例えば「法律」だ。世の中の変化に伴って変わっていくべきものの一つなのだが、何しろ手続きが面倒である。だから、すぐに“対応”とはなかなかゆかない。一昨日から昨日にかけて、健康保険法の改正案が閣議決定された。その一つにマイナンバーカードでも保険証代わりと出来る法律、その一つに被用者保険を使える家族の範囲を“国内に居住する人”限定にする法律が新たに加わった。これは4月から外国人労働者“受け入れ拡大”を行う上でぜひとも必要な法律で、早い話、日本に居ない外国人の治療費までは持ちませんよ、という法律である。実は近年、訪日客が多くなったのは喜ばしいが、来日中に治療して、その治療費を払わないまま出国してしまう外国人が急増しているのだ。もっと悪質なのは、海外から家族を置いて出稼ぎに来ていて、その本国に留まる家族の治療費まで負わせられることである。何しろ、アジア諸国では家族の人数が多い。外国の医療機関自体がここぞとばかり高額な治療費を日本に請求してくる可能性もある。それでなくても“医療費の負担増”であえいでいる日本が、そこまで“お人好し”になることはない。今回は実際の法律適用は来年以降からとなる。今の仕組みでは、法律改正にはそのくらいの時間が必要なのだ。けれども、今後、世の中はもっと短時間で変化していく。法律改正が間に合わないような問題が沢山出て来る。時代の流れだといってしまえばそれまでなのだが、法改正が間に合わないほどの“世の中の変化”がもたらしたのは“ちょっとだけの便利”と“変わらなくても良い速さ”だけだったような気がする。

「教祖」で「歌手」で「会長」と呼ばれた男

2019-02-15

13000人の出資者から総額460億円を“だまし取った容疑”で逮捕された「田中正人」こと「銅子正人」41歳。一応「テキシアジャパン」という投資コンサルティング会社の会長とされる人物である。だが、この人物、時には「スピリチュアル歌手」としてステージにも立つ。長崎では神社の「神主」もこなしていた。新興宗教の団体を「教祖」として運営していたこともある。元々のテキシアジャパンは、海外移住、海外就職、海外法人設立支援などを主業務としていた企業のようでもある。それが、いつの頃からか投資コンサルティング会社として、投資を目的とした“金融商品”の販売を主業務とする企業に変わった。それも実体のない投資案件を掲げて出資者を募集するという“荒っぽい手口”であった。それでも100万円の出資で月3%の配当を与えるという企画に高齢者たちは飛びつき、徐々に会員を増やしていった。お年寄りがお年寄りを誘って、会員を増やしたのだ。月3%の配当も魅力だが、本当の魅力は別なところにあった。会員になれば、会長自らが「歌手」としてステージに立つ“スピリチュアル歌謡ショー”へのご招待があるのだ。それ以外に海外旅行のオマケまでつく。さらにお年寄り達には、会長自らのポケットマネー1万円を“お車代”として手渡す。至れり尽くせりなのだ。ところが、元々実体のない“投資”なので、やがて“自転車操業”となる。大体、高配当をうたう“ねずみ講的事業”の行く末はいつも決まっている。実は、私はこの“妖しい人物”について、その生年月日から見てみたが、もし普通に事業を行っていたなら、おそらく順調に業績を伸ばしていたに違いない。それくらい“幸運な星の配置”を持って生まれている。けれども、彼はどこでどう間違ったのか「もっと大きく儲けたい」と思ったに違いない。だから、運命だけが人生を決めるのではないのだ。その人の性格が最終的には運命を動かす。この人物の場合には、自らの“野心”が運命を狂わせたのに違いない。地道に事業を続けていけば、徐々に収益を伸ばして行けたはずなのに、一獲千金を狙って、途中までものの見事にそれは成功したかに見えたが、お年寄りたちを不幸にした代償は大きく、彼には人生の後半部分を棒に振る“重い量刑”が待っている。

「田んぼ」は「銀座」となり、また「田んぼ」に還る⁉

2019-02-14

三重県津市に通称「レオパレス銀座」と呼ばれる地域がある。不動産会社レオパレス21が建築した“同じような形状のアパート”が乱立している。およそ1キロ四方の区域内に40棟ものレオパレス物件が並んでいる。けれども、それらは秩序正しく“整然”と並んでいるというのでもない。同じような物件なのだがバラバラに並んでいる。それもそのはず、これらのアパートは個々異なったオーナーの持ち物なのだ。レオパレスが施工管理しているが、個々のオーナーは元々「田んぼ」や「空地」の地元所有者たちである。つまり、そこに目を付けた不動産営業マンたちが声をかけ、オーナーたちの資金で“レオパレスのアパート”を建てさせ、自分たちが営業・管理するという方式だ。けれども、問題は田舎町である。交通の便も悪い。しかも、どう考えても田んぼの中の40棟は乱立し過ぎである。通称「レオパレス銀座」とは呼ばれるが、銀座の華やかさなどみじんもない。どうして田舎の土地所有者たちは、営業マンの言うなり「レオパレス」のアパートを建てようとしたのだろう。それには“秘密”がある。「30年保証」という“殺し文句”があるのだ。つまり、そのアパートに入居者が入っても入らなくても、最長30年間は或る一定の“家賃収入”は保証しますよ、という謳い文句があるのだ。これに田舎の土地所有者たちは見事に引っ掛かる。その契約書には最後の方に“契約見直し”の項目も付け加えられているのだが、土地所有者たちはきちんと読まない。自分の土地を寝かせておくより、毎月、決まった収入が得られる方が良いと考えるのだ。しかも面倒な施工・営業・管理などはレオパレスに任せておけば良い。これほど魅力的な“誘い”が他にあるだろうか。やがて10年もしないうちに、ほとんどの場合は“契約見直し”が通達される。それだけでもショックなのだが、昨年からはレオパレスの物件の多くが「建築基準法」に違反していたことが指摘され始めた。外壁が耐火基準を満たしていない、塁壁が遮音性を満たしていない、天井が耐火基準を満たしていない、要するに“欠陥アパート”だらけだったのだ。そこで、それらに居住する人達には、早急に引っ越ししてもらい、建築基準を満たす物件へと改修しなければならない。今のところ1324棟が施工不良物件だが、今後増えていく可能性もある。こうして「レオパレス」の信用は地に落ちた。当然、寝耳に水のオーナー達は「詐欺にあったようなもの」だというが、元々田んぼの中の40棟は、おかしいのである。やがてオーナー達は土地もアパートも失って、銀行には不良債権だけが残るのかもしれない。

同一の年齢と病気、同一アスペクトからの復活

2019-02-13

昨年の「アジア大会」で6冠を達成した“競泳界のホープ”池江璃花子氏が白血病で緊急入院となった。私は以前、ブログの中で彼女の姓名について「池」も「江」も共に“水中”を表わす文字で「璃」は元々“青い宝石”であり、水の中で“宝石の花”のように輝く子、という意味になり、正に“競泳界のメダリスト”として理想的な姓名であると評したものだ。その顔貌も“健康的”で、若いエネルギーに満ち溢れていた。ただ最近、18歳となり“大人の女性”に変化してきたせいか、“少年のような顔立ち”から“女性的な顔立ち”へ、少し変化しつつあるなと感じたものだった。けれども、それが“病気による変化”も加わっていたとは思いもしなかった。怪我的な故障には注意すべきと2017年4月の時点で記しているが、内部疾患的な故障は心配していなかった。むしろ、恋愛などによって傷つき精神的な“強さ”が失われてしまうことの方に若干の懸念があった。ところが、意外なところに“魔物”は潜んでいた。アスリートや芸能人でも白血病に蝕まれた人たちは多い。そして、その結果に関しては大きく二つに分かれる。文字通り「生」か「死」か、二つに一つで“病”を克服した場合には、他の“がん克服”よりも“完全復活”の色合いが強い。昨日、池江氏の公表に触発されて、自分も18歳で白血病に侵されたが、実母からの骨髄移植によって完治し、芸能界にカムバックできたという女優・吉井怜氏からのエールが掲載されていた。彼女は現在36歳であるから、病気後“二倍分の人生”を生きて来たことになる。実は大変興味深いことに、この吉井氏のホロスコープと池江氏のホロスコープには共通点があるのだ。それは出生時に太陽と冥王星が150度のアスペクトを持っているということである。私は昔『占星学秘密教本』という本を書いたが、その中でこの“太陽と冥王星の150度アスペクト”について《霊的生命力を具体化して注目を浴びる》と記述し、多くの実例を掲げている。例えば、病人の身体の悪い箇所が光って見えるので、自らの手指からパワーを放射し治療するという心霊療法家、心霊画像を見て鍼灸から治療する人物、“霊友会”宗教の教祖、官能的腰の動きで一世を風靡したストリッパー、“全共闘”のカリスマ的人物、あまりにリアルで異様な人形作家、すぐ自らの幽体が抜け出してしまうことに悩んでいた女性、肉体にメスを入れることを60年間続けた執刀医、不倫相手に殺害されながら、その相手も道ずれにしたかのよう数日後に自殺させた被害女性…これらの方達が、いずれも太陽と冥王星が150度アスペクトだった。そして、吉井怜氏は実母からの骨髄移植により蘇った。さて、池江璃花子氏の場合にはどういう形で「霊的生命力」を具体化するだろうか。

日本の“奥深さ”を表わす「日向」

2019-02-12

私もつい最近知ったばかりだった「欅坂46」と「けやき坂46」の違い。それまで私は“同じグループ”だとばかり思っていた。ただ、それにしてはなぜ「欅坂46」と漢字表記したり「けやき坂46」とひらがな表記したりするのかと不思議に思っていた。それが全然異なったグループ名だと知って、まだ日が浅い。その「けやき坂46(ひらがなけやき)」の方が、突然、その名称を変えることになった。その方が混乱しなくてよろしい。「日向坂46(ひなたざか)」というのが“新名称”だ。「槻坂46」の“二軍的な存在”としてスタートしたアイドルグループは“一軍”へと昇格。“坂道グループ”のトップに躍り出ようとしている。グループを生み出した秋元康氏は港区に実在する「日向坂(ひゅうがざか)」にあやかったらしいが、実は「日向」という地名は全国各地にある。宮崎県、三重県、静岡県、神奈川県、埼玉県、栃木県、福島県、福井県、兵庫県、北海道、宮城県に存在している。しかも、興味深いのは、それぞれに“読み方”が微妙に異なるのだ。ひゅうが・ひむかい・ひむか・ひうが・ひな・ひこう・ひがの・にっこう・ひるが・ひゅが・ひむき・にこう…漢字の読み方だから当然といえば当然なのだが、それにしても多い。このような例は「日向」だけではない。同じ漢字を当てながら、さまざまな地名や姓名が日本には存在する。そこに私は「日本」という国の“奥深さ”を感じる。そういう意味では「けやき坂46(ひらがなけやき)」から「日向坂46」に変わったことで、全国各地からの“郷土愛的な支援”と“日本固有の奥深さ”とを身に着けたアイドルとして変化していく可能性もある。名前の変化は、芸能界において重要な役割を果たすことも多い。「ワンピース」CMで人気を博すモデルで女優の泉里香氏は、何度も芸名を変えている。2003年に「浜千咲」としてデビューしたが、翌年には「梨華」に変更。さらに翌年には「泉里果」に変え、2008年から「泉里香」となっている。それぞれの名前を比較すると、現在の「泉里香」が一番落ち着きがある。「浜千咲」は浜辺に咲く花が“限られている”ことを考えると、あまり良い命名ではない。「梨」に“花(華)”はあまり見掛けないし「泉里果」の場合「田」の部首が重なってしまう。それに「泉」には“果実”より麗しい“香り”の方が「姓」を引き立たせる。因みに画数なら、どちらもほぼ変わらない。姓名は、その姓名に相応しい“生き方”を後押しする。そういう意味では「日向坂46」は“後ろ暗いこと”の出来ないグループになった。

世界は沈黙で「日本へのミサイル」を許す⁉

2019-02-11

2月27日にベトナムのダナンで第2回目の「米朝会談」が開かれることが決定的となった。日本国内においては、今回の会談を重要視する人は少ない。ほとんどの人が「なんでまたやるの?」「同じことの繰り返しでしょ」「トランプと金正恩のパフォーマンス」という風な観方でしかない。確かに、そういう風な印象を持つのが自然ではある。けれども違うのだ。実は、今回の米朝会談は「日本」にとって極めて重要なのだ。なぜなら、そこで一つの約束が交わされる。つまり「ICBMの放棄」という約束だ。これは、北朝鮮が誇る“アメリカまでを射程とするミサイル”のことである。これを放棄する代わりに“金融制裁の緩和”が与えられる。一見、“お決まりの茶番劇”のように感じる人がいるかもしれないが、そうではない。これは、要するにアメリカさんが北朝鮮さんに対して「アメリカに向けられている危ないものを取り払うのなら、日本のはどうでも良いよ」という“見逃しのサイン”なのだ。つまり「ICBMの放棄」を約束したからと言って、ミサイルそのものの放棄を約束したわけではなく、特に日本を射程に収める弾道ミサイル・ノドンなどは暗黙の対象外となる。しかも、そんなことは全世界の“有識者たち”は知っていながら、二人が交わす条約がまるで「世界平和」に貢献しているかのような報道の仕方となる。それを誰よりも喜ぶのは、やがて「北朝鮮」と一体化していくかもしれない「韓国」の人々なのだ。そういう“暗黙のシナリオ”が出来上がって来たから、北朝鮮の報道機関は先頃「日本は世界で孤立していく」と論評したのだ。このところ韓国が日本に対して挑発的なのも、そういう“方向”に進みつつあることを察知していたからだ。実際、この件に関しては、極端なことを言えば日本に味方し、日本を心配してくれる国は、どこにもない。もちろん“自国ファースト”を推し進めているアメリカ人にとっては、アメリカに届くミサイルを放棄するなら、北朝鮮はもはや“敵ではない”というムードに傾く。今のアメリカにとっては、敵は北朝鮮ではなく、“世界の覇者”を狙う中国である。もちろん韓国は、今や“北朝鮮の手下”のような存在でしかない。米朝会談の“成果”に対して、中国とロシアは特別大きな称賛もしなければ、否定コメントも出さないだろう。ヨーロッパ各国は、懐疑的な反応を示すかもしれないが、だからと言って日本に味方するわけではない。アジア諸国は総じて高く評価するだろう。つまり、日本に対して本当に同情してくれるような国は皆無なのだ。「拉致問題」など、もはや完全に手の届かないところに行ってしまった。

「名前」はウソをつかない⁉

2019-02-10

昔から「名は体を表す」というが、ほんとうかもしれない、と思うことがある。インドからのニュースでそれを実感した。われわれは「日本」のような感覚で「インド」と口にするが、この国を“一括りにする”ことは出来ないのかもしれない。なぜならインドには“最先端”の地域もあるし、“未開発”の地域もある。インド北部は、どちらかというと“未開発”に属する地域だ。その北部地元TVの報道で、この3日間の間に密造酒を呑んだ人々が次々と倒れて病院へと運ばれた。現在までに70名が死亡し、他に20名ほどの重体がいる。なぜ、そのような事態になったのかというと、インド北部のウッタル・プラデーシュ州の人物が隣接しているウッタラーカンド州へと出掛けて密造酒を持ち帰り、地元周辺で大量に安く売りさばいたからである。これまでにも、ウッタラーカンド州で密造酒が造られてきたことは知られており、今に始まったことではないのだが、一気に死亡者が多数出ることがなかったため見逃されてきた事実がある。おそらく密造酒の中身に工業用メチルアルコールが含まれていたと推測されている。これは人体内で毒性化する危険な液体だが、安く手に入ってアルコール度数が強いので、酒として酔いやすいのが特徴だ。ただ徐々に失明するとか死亡してしまうなどの症状が出る。実は戦時中の日本でも、一時期出回ったことがあるのだ。さて、ここで私が注目したいのは「州」の名称である。ようく見てみると「州」の名称の中に、今回の事件のヒントが隠されている。つまり「ウッタラーカンド」という名称は「売ったらアカンど‼」と読めるではないか。それなのに、ここでは密造酒を安く売っていたのだ。また「ウッタル・プラデーシュ」という名称は「売ったるブランデー酒‼」と読めるではないか。実際、ここの住民が買ってきて、周辺住民に安く販売していたのだ。なんという偶然。そして、なんという真実。

そして誰もいなくなった「家」

2019-02-09

通常、家相・風水というのは、方位とか、外観形状とか、各部屋のインテリアとか、そういうものによって判断される。もちろん、そういうものも重要なのだが、その家に居住している人たちの“長年の思念”というものが徐々に影響していくことを、誰も論じようとしない。よく家というのは、人が住んでいないと急速に朽ち果てていくという。それは誰もが“実感”として会得している真実だ。つまり、人が居住している「家」は、そこに居住している人たちの生命力を反映していることになる。その人たちが居なくなれば、建物としての“生命力”も急速に失われてしまうことになる。それならば、当然、それと同じように、そこに暮らす人々の日頃の“思念”もまた「家」は“吸収”しているに違いない。確かに、小学校の前を通る時、私はいつもそこから“生命力”と“発展途上ともいうべき気”を感じる。校舎自体は古びて老いているのに、その建物はいつも“活き活きとしていて”生命力にあふれているのだ。実は昨日、一つの判決が下された。千葉県で2016年9月に起こった殺害事件の判決で一審を覆し、懲役10年から懲役7年へと減刑されたのだ。竹内愛美被告は自宅内で実の弟・諒(享年21)氏を殺害し、バラバラに切断した罪に問われている。実の弟を殺害した割に“罪”が軽いのは、被告側が「正当防衛」を主張しているからで、生活費のことで言い争いとなり、弟が向かって来たのでとっさに刃物を持ったら太ももに刺さり、それが致命傷になった、とされているからである。つまり殺意などなく、とっさの正当防衛で身を庇ったに過ぎない、というのだ。そうは言うものの、手当てした形跡もなく、死後にバラバラに切断するなど、疑問の残る判決ではある。私がこの事件で注目したのは、殺人の行われた「家」が、最初は“6人家族”で暮らしていた家だという点だ。最初は、彼らの父母と2人の“妹たち”の6人暮らしだった。それが父親が精神を患って休職し、夫婦での口論が多くなり、やがて母親が離婚し、家を出て、三女も出て、やがて父親が死亡し、四女も出て、結局、仲が悪かった「長女」と「弟」だけが残った。そうして、生活費のことなどで言い争うことが多くなり、本当に弟が向かって来たかは疑問だが、姉が弟を殺した結果となった。途中、母親は離婚して出て行ったが、それまではずっと母親からの「虐待が続いていた」と証言されている。つまり、その「家」は心の休まることなどなく、常に“争い事”が絶えなかった家だということになる。まるで、その“争いの渦”に飲み込まれてしまったかのように、一人消え、二人消え、三人消え、四人消え、二人が残った。そして、弟は殺害され、姉は刑務所に入る。誰も居なくなったのだ。

「病んだ絵」が世界から称賛される⁉

2019-02-08

1960年に或る夫婦が所有していた一枚の絵画がサンフランシスコ美術館へと寄贈される。それはファン・ゴッホ作「果物と栗のある静物」という表題の絵画だった。ところがその作品はゴッホの作品名簿に載っていない。審査の結果「贋作ではないか」という評価が下されていたからだった。今回、再度の鑑定でゴッホ美術館の専門家が「真作である」と太鼓判を押した。しかも1886年10月~12月の間にパリで描かれた作品であることまで判明した。その“決め手の一つ”は、この作品の下にスカーフを巻いた女性の肖像画が描かれていたことである。それは赤外線調査によって浮かび上がった。贋作であれば“カンバスの遣い回し”などするはずがない。やはり“売れない画家”であるゴッホは、カンバスを買う金すらも乏しかったのだ。けれども、そのことが真作であることを証明してくれた。この絵を見ると、正直、まだ“われわれが知っている”ゴッホの絵ではない。実は“われわれが知っている”ゴッホの絵のほとんどは、彼の精神が少し“病み始めて以降の作品”である。特に、ゴッホの絵は何故か日本人に好まれるのだが、日本人たちが“好むゴッホ”は、健全なゴッホなのではない。少し“病んでいるゴッホ”なのだ。その日本人たちが“好むゴッホ”を描き出す直前ともいうべき頃の作品が、このほど“真作”と証明された「果物と栗のある静物」なのだ。だから、ゴッホの絵にしては躍動感が乏しい。浮世絵の影響を受けて明るいが、まだ凡庸な印象を受ける。かつて日本では、ゴッホの「ひまわり」をオークションで53億円という巨額で落札し、世界中を驚かせたことがある。1987年、日本がバブル景気に沸いていた時期だ。他の絵画はバブルの終了とともに日本から消えたが、この「ひまわり」だけは今も残っている。その後、“ゴッホの絵”と言えば高額な値が付くようになったが、生前のゴッホは“絵が売れない画家”として貧しく生きていた。今回の“真作”も“売れない時期”の作品なのだ。芸術作品の評価とは何だろう。再度いうが、売れているゴッホは、“病んでいるゴッホ”が描いた作品だ。日本人が好むゴッホは“健全な頃”のゴッホではない。元々ゴッホは牧師の家に生まれた。そして自分自身も途中までは牧師を目指していた。つまり、元々彼の絵には“神の救い”を与えようとする想いが、どこかに息づいている。加えて日本の“浮世絵からの影響”が色彩などに窺われる。そして“病み始めたゴッホ”の過激さと繊細過ぎる神経。これらすべてが日本人には“微妙に合う”のだと思われる。神を求めて、神に辿り着けなかった男の“嘆き”が木霊し続けるような画面。

極寒の中「燃える火」は聖母のように暖かだった

2019-02-07

ときどき“わからない”ことを言う人達がいる。世界気象機関の人達だ。昨年も確実に“地球温暖化”が進行している証拠がまた一つ見つかったというのだ。そういうことを言われて久しい。というか、そういうことを“信じかけて”久しい。けれども、問題は“今日の雪”、今日の“寒さ”、今日の“体感温度”。極寒波が来る―という地域での暮らし。アメリカさんだって、先日、シカゴ郊外でマイナス40度と騒いでいた。北海道は、そこまではいかないが、それでも日本一寒い町=陸別町とかならマイナス30度にはなる。百年以上前の記録でも良いなら、旭川でマイナス41度の日もあった。とにかく北海道は寒いのだ。そして明日は“極寒波”がやって来るのだ。だから“地球温暖化”など体感的には信じられない。明日は最高気温でも札幌でマイナス10度を超えないらしい。最低気温ではなく、最高気温がだ。つまり一日中、寒さに震えていなければならない。私は何故か寒くなると、幼い頃を思い出す。幼い頃のストーブの中、オレンジ色に“燃える火”が聖母のように輝いて見えた頃のことだ。昔の北国の子供たちは、真冬、輪になってストーブの前に集まり、その中で優雅に“燃える火”を黙って、いつまでも聖母であるかのごとくに見つめ続けていた。今は、残念ながら、そういうストーブは無くなった。子供達も集まらなくなった。部屋のどこに居ても暖かくなってしまった。“聖母”など、どこにもいないストーブに変わった。炎の揺らめきは消えて、膝を抱えるという“温まり方”もなくなった。寒いのは嫌いだが、あの“燃える火”を黙って見つめ続ける子供たちの“輪”は、本当に“絵”になって素晴らしかった。そうして、その“輪”の中には、確かに聖母が降りて来ていたのだ。どんなガキ大将も黙らせてしまう“不思議な優しさ”があった。札幌の「雪まつり」は確かに美しい。けれども、それは“人工的な美”だ。誰も命令したわけでもなく、指示したわけでもなく、黙っているのに集まって来て、いつの間にか“輪”になって、膝を抱えて、ただ黙って“燃える火”を見つめている。極寒の中で「炎」だけが、“妖しい微笑み”で踊り続けている。

« Older Entries
Copyright© 2015 NAMIKISEIRYU All Rights Reserved.