6月, 2017年

狙われたミンダナオ島

2017-06-19

6月17日、フィリピンの南部ミンダナオ島に「戒厳令」が出された。過激派組織「イスラム国」に忠誠を誓うフィリピンの武装組織「マウテグループ」と治安部隊との間で戦闘が激化しているからだ。報道によると、マラウイ市の一部が武装組織側に占拠され、市民が人質として拘束されているらしい。フィリピンのドゥテルテ大統領は現地に乗り込んで“戒厳令を発令”、武装組織に対しては令状なしに捕まえられる特権を与えた。ただ強面で知られるドゥテルテ大統領だが“イスラム系過激派組織”には警戒心を強めていて、現地にシリアやインドネシアやマレーシアからイスラム過激派たちが続々集結しているので簡単には制圧できないとの認識を示した。実は、現在、本拠地では劣勢が伝えられるイスラム国だが、壊滅の方向に向かっているわけではなく、世界各地へ拠点を分散しようとしている形跡も窺われる。中でも、アジア最大の拠点にしようともくろんでいる可能性が強いのがミンダナオ島なのだ。なぜかというと、フィリピンは基本“キリスト教国”でありながら治安が良くない。彼らは明らかな“キリスト教国”に狙いを定めている。だから、イギリスやフランスが何回も狙われるのだ。次に、その周辺に“イスラム教国”が存在していること、これが重要なのだ。フィリピンの場合、インドネシアとか、マレーシアとか、イスラム教国と言っていい国が近隣にある。だから“新たな拠点”として使いやすいのだ。インドネシアやマレーシアは、本来は過激なイスラム教ではない。けれどもイスラム教国なので、過激派が紛れて生活していても目立たない。或る意味、知らず知らずのうちに“過激派集団”をかくまっている可能性すらもある。フィリピンを拠点にすれば、やがてはアジア全域に“イスラム原理主義”を普及させることが出来るかもしれない。それこそ、彼らの究極の目的なのだ。そういう意味では近年、経済的な発展が著しいマレーシアやインドネシアから多数の観光客が日本に訪れているが、その中に“過激派組織の人間”が紛れ込んでいる可能性もないとは言えない。罪もない市民を巻き込む“悪い奴ら”を、やすやすと日本に上陸させてはならない。

奇跡は“二度”起こらない

2017-06-18

時々“奇跡的生還”という言葉が使われる。実際、神秘としか言いようがないような“奇跡”によって、死を免れる人たちが稀に居る。彼カーク・ジョーンズ氏もそういう一人だった。彼は2003年、一つの「挑戦」として落差51mのナイヤガラの滝に飛び込んだのだ。それまで、生きて帰ったのは、救命胴衣だけの状態で流された7歳の少年唯一人だけであった。そんな危険な場所に自ら飛び込むのは“命知らず”の人物だけである。彼は、その「挑戦」に見事成功した。まったく、奇跡的な生還であった。その後も長く、そこは“死の滝壺”となって多数の犠牲者を出した。2009年、またしても或るカナダ人男性が飛び込んだ。誰もが「死」を覚悟したが、何故か、彼は生還した。彼は自殺するつもりだったのだ。2011年8月には日本女性も転落死している。さて、奇跡の生還者ジョーンズ氏だが、今年4月19日に、またしても“奇妙な挑戦”を行った。透明バルーンの中に入ってナイヤガラの滝に飛び込んでみようというのである。彼は53歳になっていた。その後どうなったか、判然としていなかった。つい先日、流れ着いた透明バルーンの近くで亡くなっているのがジョーンズ氏であったことが確認された。彼は、何故“奇跡は二度ある”と思ったのであろう。神は“一度だけの奇跡”を彼に与えた。なぜ彼は、それに満足できなかったのか。或いは、彼も今度は“自殺志願”だったのか。いや、それならば“透明バルーン”など用いない。彼は“透明バルーン”の中から笑顔で手を振る姿を、世界に公開したかったに違いない。2003年の奇跡を憶えている人たちは少なく、今なら“ユーチューブ”で世界に配信してもらえる。再び“奇跡の英雄”として輝かしい日々を送りたいと思ったに違いない。けれども、神の奇跡は、売り物ではない。二度と起こらないからこそ“奇跡”なのだ。

“病んでいる”教師たち

2017-06-17

私がまだ“生徒”だったころ、学校の先生というのは“尊敬すべき人達”だと思っていた。実際、そういう先生も何人かいた。ただ先生の中には極端に感情的になりやすいとか、えこひいきしてるなとか、すぐ暴力に訴えるとか、尊敬できない先生たちもいた。もう何十年も前のことだ。あれから月日が経って、今、学校の先生というのは試練に立たされているような気がする。よく“ブラック企業”が話題となるが、会社勤めではないので、そういう風に見なされていないだけで、実際には教師・教論の方達も、或る意味で過剰勤務を強いられていることは間違いがない。そういう中で、当然ストレスを抱えて問題を起こす教師も出て来る。昨日、大阪で自分の勤めていた幼稚園を“放火した”容疑で、その幼稚園の教師が逮捕された。防犯カメラの映像などから、段ボールなどに火をつけた直後、その教室に鍵をかけ帰宅する女教師の姿があった。彼女はたびたび幼稚園側から指導面での注意を受けていたらしい。一方、東京では、風俗店従業員に対して暴行し、所有していた現金入りバッグを奪った疑いで都立高校の教論が逮捕された。彼の不思議なところは、いったんその従業員に対して風俗料金の支払いを行い、女性側がバッグに仕舞いかけたところを見計らったように襲い掛かり、大怪我を負わせてバッグを奪い、現金26万円を奪ったという点である。とても高校教論のやる手口には思えない。はからずも、大阪と東京で男女の教師・教論が同日に逮捕された。一方は“放火未遂”であり、一方は“現金強奪”である。しかも、両方ともやり方としては稚拙で、指導する立場にある人達の犯罪としてはお粗末すぎる。明らかに現代の教師・教論は“病んでいる”のだ。実は逮捕には至っていないが、自ら務めていた小学校で、給食の食べ残しの“カビの生えたパン”や“古くなった牛乳”を無理やり食べさせていた女教師も報道された。う~ん、教師たちの何かが、何かが壊れ始めている。

出逢ってすぐの女性に“年齢”を訊くのが正しい?

2017-06-16

世の中が変わり始めている。スマホだけで“男女が知り合う”、そしてデートをする。多分、若者たちにとって、それは何でもないことなのだ。そして、その流れの中でホテルにも行く。相手の名前も正確には知らない。もちろん、その素性も知らない。ただ何となく気が合って、楽しくいられて、寂しい日にたまたま傍に居たから…。ところが、この後“ギョッとする事件”が起こる。職場に警察官がやって来て、何が何だかよく解からないけど、逮捕されてしまうのだ。まさにそういう形で岩見沢市の市職員・中井慎(26歳)は、昨日、逮捕された。それはもう半年以上も前の出来事である。たまたま札幌に来ていた彼は、華やかなネオンにつられてススキノに来た。そうして酒を飲みながらスマホをいじっていた。そうしているうちに、何となく一人の女性につながったのだ。メールのやり取りを重ねて「逢おうか」ということになった。可愛い子だった。何んという偶然、そして幸運、彼は浮足立っていた。そして酒とネオンと女性の可愛らしさに、冗談半分ホテルまで誘ったのだ。拒絶されるかと思いきや、なんとすんなりOKだった。可愛らしい顔に似合わず、ホテルでは大胆だった。それだけだった。地元に戻って、市職員として普通に仕事をしていた。その間、何もなかったから、札幌での一夜のことなど、記憶の向こうにあった。ところが、それなのに逮捕されたのだ。「青少年健全育成条例」というやつである。けれども、彼には、犯罪を犯したという意識も自覚もなかった。相手の女性は「17歳の少女だった」ということを知らされたが、その時には酔っていたし、ネオンの夜の中で初対面でもあり、何歳かなど考えもしなかった。相手の女性も、その外見は“可愛らしく華やかな印象”でしかなかった。化粧もしていたし17歳には見えなかった。それでもスマホの記録は残っていて、それが証拠となって反論の余地なく、彼は逮捕された。彼は、出逢った時、最初に年齢を訊くべきだったと悔やんでいる。

熊から「ハチミツが好き」と言われても…

2017-06-15

最近、日本の各地で熊が出没している。目撃情報だけでなく、被害情報も多い。大昔、人間と熊には協定があった。ここからここまでは“熊さんの領域”、そしてここからここまでは“人間さんの領域”、そういう暗黙の取り決めがあった。だから、アイヌなどは“熊を守り神”とした。自分たちが生きていく上で“必要不可欠な存在”となっていたからだ。どちらもルールに従って生きていたからだ。ところが、ここに来て、その協定が破られようとしている。どちらが“破っている”のかというと、どちらも破っているのだ。人間が“熊さんの領域”にまで開発の手を伸ばしている。熊の方も“人間さんの領域”に踏み込んできている。双方とも協定破りなのだ。昨日、青森では“養蜂農家”がやられた。熊が人間さんが作った“養蜂箱”を壊してハチミツを食い荒らしたのだ。がさつな熊は、養蜂箱を乱暴に壊しながら「ハチミツが好きでねえ」とご機嫌だった。人間も時々、山奥に入って「山菜が好きでねえ」と勝手に採っていく。協定はどうなっているんだ。どちらからともなく、そういう声が上がっている。ここは一つ、双方から代表が出て“手打ち”と行きましょうか。誰かが提案し、みんな「そうだ」と声が上がった。ところが代表を誰にするか、双方ともに揉めているらしい。何しろ人間さんときたら銃を持っている。一方の熊さんの方もその爪と突進力はすさまじい。だからみんな「手を上げて」というと誰も手を上げず、それでは自分が…というと、みんな一斉に「私も…」と手を上げる。ん? 何かに似ている。では話し合いが上手く着いたら「ハチミツ」をご褒美ってことで、よろしく!

自己顕示欲と“寂しい心”の葛藤

2017-06-14

タレントで投資家の松居一代氏が、自らのブログの中で“真実をお伝えしましょう”ということで、自分の家の“懐事情”について公開している。こういう場合、通常は「告白」という形になるのだが、彼女の場合は「公開」という形で、表現を変えると“全裸御開帳”のような潔さである。確かに潔いのだが、それでいて共感は呼ばない。誰も彼女の家の“家計簿を見せてほしい”と言った覚えはないからだ。もちろん、彼女としては、いろいろと推測されて記事にされてきたことが癪に障るのであろう。けれども、それは或る種“有名税”のようなもので、著名人なら誰もが行われている。それをいちいち訂正しないのは、彼らが「大人」だからである。つまり、彼女が「公開」すれば「公開」するほど、或る種の“虚しさ”が漂う。彼女は自分が購入したポルシェは報道にあった1800万円ではなく2300万円(彼女に言わせると22834534円)であったと言いたいのだろうが、庶民にとって、そんな違いはどうでも良いのだ。すべて自分が現金で購入したもので、船越からのプレゼントではない、と強調する。……だから? というのが普通の感覚である。結婚17年で、夫からは「着物一枚、指輪一つ買ってもらったことがない」と記し、その理由を、わざわざ買ってもらう必要がないというようなことを書いている。要するに、自分の方がはるかに“高収入”だと言いたいようだ。それはそうなのかもしれないが、プレゼントって、そういうものではないでしょう。はからずも彼女は「私は愛されていなかった」ということを、自ら激白しているのに、そのこと自体に気付いていない。誤解されると困るので記しておくが、私は個人的には松居一代氏は好きである。こういう“負けず嫌いで茶目っ気もある女性”は嫌いではない。それに或る意味、正直でもある。ただ日本人は総じて、この手の女性を“嫌う”ことを彼女は知っておいた方が良い。彼女の才能は誰もが認める。多分、夫である船越氏も認めているはずだ。そして彼女は、或る意味では“嘘”はついていない。けれども、ここは警察の取り調べ室ではない。税務署でもない。“寂しい心”を温めてくれるのは預金通帳ではない。

「オモロー」は“オモロイ記者”になれるか

2017-06-13

一時期、熱狂的に受けた「世界のナベアツ」に、相方がいたなんて知らなかった。彼は“ピン芸人”ではなく、“コンビの芸人”だったらしい。その相方が「オモロー山下」だというのだ。そう聞いても、フ~ンと答えるしかない。知らなかったからだ。その「オモロー山下」だが、とうとう自分の芸の“限界”を感じたらしい。そうして次に飛び込んだのが、雑誌記者の世界であった。芸能人の取材に命をかける「女性自身」が今度の舞台だ。つまり、取材される側から取材する側に回ろうというのだ。なかなか思い切った決断である。彼には申し訳ないが、これまで“ほとんど顔を知られていない”ことが今後は大いに役立つ。つまり、一部の芸人を除けば、ほとんどの人達が“普通の記者”として接してくれる。これが何よりも強みだ。しかも、芸人たちに関しては、その“裏事情”まで精通している。何しろ25年間も芸人をやって来ているのだ。しかも5年前からは「うどん店」も経営している。ここも、隠れたインタビューとか、取材での打ち合わせ場所としても使える。もしかしたら、今年の「R-1ぐらんぷり」に1回戦で落ちたのは後々“幸運だった”と言えるかもしれない。そうでなければ、このような決断が出来なかったことだろう。人間、何が幸いするかなんて誰にも分らない。そういえば相方の「世界のナベアツ」はどうしているのか。何んと、今は転身し「落語家・桂三度」として頑張っているらしい。そうして、かつての相方だった「オモロー山下」に対し、取材されるよう頑張りたい、とのメッセージを寄せている。素晴らしいコンビではないか。やがて芸能人とかスポーツ選手とかに「オモロイ記者がいる」と言われる存在になれるか、それとも「1」「2」「③」年目に辞めてしまうか、要注目!

昨年9月の“予告”が現実になりつつある

2017-06-12

昨年9月17日、私は「この一言で救われる」の中で民進党の党首になった蓮舫氏について書いた。その顔貌から、法令線がクッキリとして使命感の強いリーダー型だが、顎のラインが弱く、肉付きも乏しく、組織のトップとしてはふさわしくないこと。こだわりが強すぎて大勢の人々を率いる人物の相ではないこと。したがって、今後の民進党は弱体化していくであろうこと。特に星の配置から、2017年の夏場をどう乗り切るかが課題となっていくだろうこと。…残念ながら、その通りに進んできていて、7月2日の都議選の結果いかんでは“責任論”が出て来るのは必至の情勢となっている。政治家や実業家の場合、その地位を受け継いだ後に、顎のラインに変化が出て来て骨太になり、肉付きも豊かに変わる例がある。ところが彼女は変わらなかった。むしろ、ますます顎のラインが寂しくなった。せめて髪を長くして顎のラインの細さをカバーすれば、多少、印象的にも違ってくるのだが、ますます“カリアゲ気味”で顎の鋭さが強調されている。元々このタイプの人は“攻撃型”で、攻めは強いが守りは弱いという特徴がある。したがって勢いのある時には“輝いて見える”のだが、衰えて来ると妙に“寂しい”のだ。実際、都議会議員の民進党離れが加速している。6月6日には側近の柿沢前役員室長の妻である柿沢幸絵都議が離党した。わざわざ蓮舫氏が応援に駆け付けた後の反旗であった。こういう時、古代の賢人は「人徳」という言葉を使う。人徳が無ければ、人心をとどめることは出来ないというのだ。その人徳はどうすれば得られるのかというと「清濁併せて飲む」ことが出来るかどうかに掛かっている。この言葉の元々の意味は、大海が清流も濁流も隔てなく受け入れることから、善人でも悪人でも受け入れる度量の大きさこそが「器」の大きさとなり、人の指導者として必要なことであると説く。蓮舫氏だけでなく、今の日本人全体に必要な“教え”なのかもしれない。

マスコミに“売る”少女の怖さ

2017-06-11

このところ少女との“不適切な関係”で活動停止に追い込まれる芸能人が多い。今は昔と違って誰もがカメラマンとなる。録音もできる。本人に知られないよう記録を残し、それを基に“慰謝料”などを請求し、成立しなければマスコミに売る。ちょっとした「ワル」の手口を10代の少女が用いる。怖い時代になったものだ。もちろん、芸能人がファンの少女を強引にホテルに連れ込むなら、そちらの方も“危険な存在”で、どちらが悪いのか判断に苦しむ。ただ“マスコミに売る”という手法は、今や芸能人だけの問題ではない。一般人であっても、それが“興味深い内容”であれば、週刊誌などは飛びつく。したがって“性愛を含む関係”は、よほど相互に信頼性が無ければ、成立しない時代に入って来たといえそうだ。週刊誌や新聞などで「10代の少女」という見出しが躍るだけで、何となく何かがありそうで、人々はそれを読もうとする。つまり「10代の少女」という文言は“商品価値”があるのだ。けれども、実際には“10代の少女”と言っても実にさまざまである。中には“性風俗の世界”で荒稼ぎ(?)しているような“夜の女性”もいる。そういう人たちもひっくるめて「10代の少女」にしてしまうのは、何かが違うような気もする。さらに背後に“怖い男”が居て、その指示で動くような女性までいる。もう、そうなると“意図的な罠”であって、芸能人だろうが公務員だろうが関係なく、その“罠”にはまったが最後、金を搾り取られるか、社会的な立場を失うか、いずれにしろ“引っ掛かった方が悪い”という結末となる。誰もがカメラマンとなって証拠を残せる時代となった今、思わぬところに“危険な斜面”が潜んでいることを“酒癖”の良くない人たちは努々忘れてはならない。

“健全な沢尻エリカ”には魅力がない

2017-06-10

或る雑誌が女優・沢尻エリカ主演のドラマ「母になる」を取り上げ、それと同時に、今から十年前の「別に…」発言と、そのバッシング報道の在り方を書いていた。確かに、あの頃「エリカ様」は一躍有名になったのだ。女優が、舞台挨拶の“ちょっとした発言”一つで、これほど有名になった例は記憶にない。それだけ良くも悪くも「別に…」はインパクトがあったのだ。その結果として、この女優には何故か“ダーティー”なイメージが付き、表舞台からしばらくの間消された。今回は主演ドラマだが、残念ながら彼女のイメージとは合わない。その結果、彼女の持っている“普通”の部分だけが際立ち、つまらない作品となっている。そう、この人にはせっかく“悪女”的なイメージがあるのに、それを全く活かせていない。大体、母親役そのものが似合わない。本人も、経験のない役どころで戸惑っているかのようである。ましてや、“平凡な主婦”という役どころが何とも不似合いなのだ。自分の子供が誰かに連れ去られて、記憶をなくした後で再会する設定なのだが、そうであれば“空白の歳月”の苦悩が滲み出ていなければならない。それがまるでないのだ。子役として出ている少年も、まったく翳りがなく、より作品を“嘘っぽく”感じさせる。だからドラマの中に入っていけない。むしろ、あの「沢尻エリカ」はどこに行ってしまったんだろう、という想いだけが霧のように立ち込める。これは本人の志向なのだろうか。それとも所属する会社としての方針なのだろうか。“普通の主婦”というイメージの方が売り込みやすいからだろうか。日本には“悪女”を演じられる女性がほとんどいない。だから、悪女が出て来るような“大人の作品”は、総じてつまらないドラマになってしまうケースが多い。この女優は、そういう意味で最高のイメージを与えられていたのに、つまらない“普通の主婦”となって、すべてを失ってしまった。

手を振る母親は悩まない

2017-06-09

福岡の母子三人殺害事件は、夫である現職警察官が逮捕される結果になった。但し、夫は犯行に対して「事実ではありません」という言い方で否認している。律儀な警察官らしい否認の仕方だ。逮捕の決め手となったのは、妻の指先から夫のものらしい皮膚片が見つかったことらしい。これが事実なら決定的な証拠と言える。夫と第一発見者である実姉とは、彼女が“子育てで悩んでいた”と証言したらしい。最初、だから無理心中として処理されかけた。しかし、その死因が“練炭ではない”ということになって、殺人事件に切り替えられた。自殺に見せかける…というのは実は大変に難しい。後から工作しても、検視官が見ればすぐわかるのだ。警察官である夫は、その辺の知識は持っていたはずで、そういう意味では疑問が残る。通常、子育てに悩んでいる場合、子供たちが学校へ行く時、玄関まで出て来て“手を振る”などという行為は行わない。本当に悩んでいたら、それは出来ないのだ。ご近所の人達が、ずっと手を振っていた母親を目撃している。警察官の夫と妻の実姉とは“子育てで悩んでいた”と証言している。なぜ、二人は“口裏を合わせた”のだろう。二人が、どういう関係だったかはわからない。“強い殺意”を持っていたという殺害方法の手口は、もし、夫が殺害したのだとすれば、確実に殺さなければならない理由が存在していたことになる。仮に、夫と妻の実姉とが“深い関係”にあったとしても、それだけで“三人を殺害”という気になるだろうか。夫と子供達との関係が、最近まで良好だったことは周囲の証言から窺われる。この点からも奇妙なのだ。実姉にしても、妹の子供達である。仮に、妹の夫と“深い関係”になったとして、妹の子供たちまで巻き添えにしようと思うだろうか。ミステリードラマなら楽しめる内容だが、現実の事件としてはあまりに哀しく残酷である。

ズレて的中した田中将大投手への予言

2017-06-08

私は4月5日「“土星リターン”の試練を乗り切れるか」という形で、大リーグのヤンキース・田中将大投手の“試練”について書いた。あの時、まだ彼は開幕投手を終えたばかりだった。その時点で、私は彼の“不調”の原因が占星学上「土星リターン」と呼ばれる特異な現象にあることを指摘した。つまり、本人が出生した時の土星位置に、トランジット(移動中)の土星が戻ってきたとき、その現象は起こる。人生上の“試練”ともいうべきものにぶち当たるのだ。それは大体、29歳~30歳の付近で最初に起こる。もちろん、出生時の惑星配置によって、それが強く出る人もいれば、出ない人もいる。彼は、それが強く出た。丁度重なり始めた時に「開幕時期」が来たのが不運だった。最悪期は5月半ばまでで、一応それ以降は徐々に影響が薄らいでいく、というのが惑星だけからの見通しだ。それで私は、彼は今年“試練の年”となり、少なくとも5月半ばまでは勝利できないだろうと記した。ところが、彼は意外にも、4月下旬からは勝利し始めた。おや、もはや試練を脱したのかな、と私も思った。少し早いなと感じながら…。けれども、土星リターンの試練は、それほど生易しいものではなかった。5月上旬に入って再び勝てなくなり、それどころか“滅多打ち”と言って良いような状況へと変化し始めた。惑星の“作用時期”というものは、必ずしも厳格に施行されるものではない。日本人は“時間のずれ”を嫌うが、惑星予告としての現象は必ずしも“ピッタリ同時”とはいかない場合も多い。これは数多くの実例を見て間違いのないところで、時に数週間から数か月ズレることさえもある。もちろん、ピッタリその時期を外さないこともある。田中将大氏の場合、夏場になれば、出生時の天王星とトランジットの天王星とが120度アスペクトとなるので、その時が来れば“転機”を迎える。もし、それが良い形で作用すれば、投げ方や球種を変えるなど何かを大きく変えることで「蘇った田中」と称賛されるはずだ。けれども、もしかしたら「一軍リストから抹消」という報道が駆け巡るかもしれない。そこことを私は4月5日の時点で警告していたのだ。

フィリピンの保険金殺人?の謎

2017-06-07

フィリピンに行った二人の日本人が“行方不明”となり、逮捕されたフィリピン人容疑者たちによると、日本人に指示され銃で殺害し、死体を海に流した、と供述しているらしい。その首謀者とされる日本人、さらに実行犯とされる男が出頭し、事件が大詰めを迎えつつある。但し、首謀者とされる日本人男性は、二人の日本人男性をフィリピンまで呼んで面接したのは認めたが、5月30日に別れて、その後の関与は一切なく、私は何も知らないと取材に答えている。警察は二人合わせて「2億円の保険金殺人」として捜査を進めているが、長濱容疑者に言わせると、レストランビジネスの店舗運営を任せる人材が欲しくてインターネットで募集したところ、その二人が応募してきたのだという。それで現地に来てもらうにあたって高額の保険にも入ってもらった。海外なので万一のことを考え、いつも行っていることであるという。もし、彼の言うことが真実なら、いつものように旅行保険としての「傷害保険」に入れておいただけ…ということになる。ただ彼の現地通訳や実行犯などが一致して“長濱容疑者”が仕組んだ保険金殺人だと主張しているらしい。フィリピンは何度か行ったが、闇に包まれた部分のある所で、物事の表面だけ見ていては“把握できない国”だというのが私の印象である。この事件の場合、二つの大きな“謎”がある。その一つは、元々インターネットで応募してきた二人は他人同士のはずである。そうだとしたなら、普通、面接の後で“二人だけでの島巡り”は行わない。明らかにおかしい。もし、可能性があるとすれば容疑者がプレゼント的な意味合いから“島巡り”を提案した形である。但し容疑者自身は、その後の行動は把握していないと供述している。仮に長濱容疑者が殺人を計画したとして、どうしてすぐ“自分が疑われる”ような計画を立てたのかである。インターネットでの募集で“現地面接”の形であれば、当然、その後に行方不明や殺害となれば、募集した側が疑われる。面接目的のためだけにフィリピンに来ているのだ。そんな“ずさんな殺人計画”を日本人が企てるだろうか。さらに実行犯が自ら出頭したというのも、何となく腑に落ちない。単純な「保険金殺人」か、もう一つの「闇」が潜んでいるのか、フィリピンの“裏社会”には近づかない方が良い。

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