素顔のひとり言

新しい「パワースポット祈願」とは…

昨今の雑誌やTVで“パワースポット特集”や“パワースポット廻り”が静かなブームとして紹介されている。パワースポットの一ヵ所だけを取り上げることは少なく、何箇所かを並べて紹介する形式や、それぞれのパワーの特徴や違いを解説しているケースが多い。或る種“心霊スポット”や“開運スポット”と重なり合うような紹介の仕方も多い。

実際「パワースポット」の定義は大変に難しい。“古代からの神聖な土地・地域”を意味していることもあれば“大地のエネルギーを享受できる場所”を意味していることもあれば“神々が降臨する場所”を意味していることもあれば“風水的な理想の土地”を意味していることもあれば“偉大なる神社・寺院・教会・神殿そのもの”を意味していることもあれば“世界中から人々が吸い寄せられて来る中心地”を意味することもあるだろう。多分、そのどれもが正しくて、どれもが少しだけ違っているのだ。「パワースポット」には様々なイメージや受け止め方があって良い―と私は思っている。個人や一部地域だけが認めるパワースポットもあれば、今日では世界的に知られているパワースポットもある。ともかく雑誌やTVで次々とパワースポットが紹介される企画が多いのは、それだけ今の日本が、或いは日本人が“パワー不足”に陥っているからなのかもしれない。

古代中国の風水的な考え方からすれば、大地には “龍脈”と呼ばれる大自然の“パワーを秘めた流動ライン”のようなものが張り巡らされていて、そのラインを見極めたうえで王朝都市を建設することが何より重要とされていた。だからこそ殷(商)王朝は八度も遷都したのだ。実際、古代の風水では“パワーの発信地”を「龍穴」と呼び、それを見極められるのが本物の風水師である…とした。べつに古代中国でなくても、神々が降臨する場所として様々な“神殿”“神社”“寺院”“教会”“仏閣”が設けられ、それらの中には現在でも何百万、何千万という人々が崇拝し、信仰し、祈願し、観光に訪れるところがある。これを「パワースポット」と呼ばずして何と呼ぶのか。一時期「ピラミッドパワー」というものが注目を集めたが、確かにギザの大ピラミッド内部には世界中から観光客が訪れ、多分「王の間」内部に何億人かが入って“無言のパワー”を感じたはずなのだ。私自身も入ったが“4500年前の圧力”のようなものを感じずにはいられなかった。ジャワ島のボロブドゥール寺院遺跡なども、遺跡壁面に彫られ埋め込まれた何千という信仰物語が建造に携わった人達のパワーとして迫って来るものがあった。そういった古代遺跡―神王(神仏)を意識した建造物―の多くは、今も世界中の人々を引寄せる力を持っている。

日本でも歴史ある神社・仏閣は“神”や“仏”の霊力のようなものを宿していて、だからこそ全国各地から信仰・祈願する人々が今も集まって来るのだろう。特別に宣伝をするとか、随時催し物を開くとかしなくても、人が集まって来る神社・仏閣には“神仏パワー”が備わっていることは間違いがない。人は誰でも潜在意識の奥底で繋がっているので、多くの人達が一ヵ所で“想いを一つに祈願する”ことで“計り知れないパワー”が生み出されることになる。風水的な自然条件にも恵まれた“古代からの神社・仏閣の選定地”は無条件にスピリチュアルな「パワースポット」であることに間違いないのだ。

但し、古代からの由緒正しき神社・仏閣であればどこでもパワースポットかと言えばそうでもない。古代には“パワー”があったが、現代ではそれが失われ、カラスなど鳥獣達が群生し荒れ果てた印象を与える所は“パワースポット”どころか、むしろ“霊的な危険地帯”と化している場合もある。これは何かの理由で“邪霊たちの巣”と化している場合が多いので近寄ってはならない。パワースポットブームが訪れたことによって、これら“廃墟に近い神社・仏閣”の中にも雑誌やTVで取り上げられる所が出てきているが“心霊スポット”ではあっても“パワースポット” とはならないので赴いてはならない。

海外の古代遺跡でも、心霊的なものに弱い人は、古代の墓地・埋葬所、無数の当該骨を収納した室がある教会・寺院、昔の刑務所、修道院、戦争時の収容所跡…など多数の生命が犠牲となった場所や遺跡に足を踏み入れるべきではない。そういう意味では、自分の意思でなく、誘われるままに“パワースポット廻り”を行うのは危険な要素もはらんでいることを忘れないでほしい。私は昔、観光で道教寺院に赴いた時、その内部で無意識に写真撮影を行ったら、銃口を向けた人物が飛び出て来て、血相を変えて怒鳴りまくり、慌てて退散した経緯がある。単に心霊的に危険なだけでなく、宗教施設での撮影は実質的に“身に危険が及ぶ”こともあるのだ。

多くの人は「パワースポット」と云うと大都会の中には存在しないかのように捉えているが、これはとんでもない誤解で“パワーが集中する地帯”という点では、正しく大都会のど真ん中こそ“パワースポット1番地”なのだ。多くの人、金、モノが集中する所というのは、それだけで“パワーが漲っている”原点であることは、誰が考えても理解できることだろう。したがって、もし本当に“パワーを得たい”のなら、田舎や郊外になど出掛けず“大都会のど真ん中”へと出掛ければ良い。もっとも、この場合の“パワー”はスピリチュアルなものではない。実生活に必要な“仕事・商売・勉強へのエネルギー源”として作用するものだ。早い話が“精神的な充実”ならスピリチュアルなパワースポットへ“物質的な充実”なら大都会のど真ん中へ行くと良いのだ。大都会のど真ん中の巨大高層ビル内の展望台やカフェで“成功を誓う”ことこそ、新しい形の「パワースポット祈願」と言えるのではないだろうか。


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