素顔のひとり言

振り子時計の不思議

私のパソコンが置かれているテーブルから真正面の位置に、その時計はある。アイボリーのサイドボード上なので若干高い位置だが、古代ギリシャ・ローマ風の女神像が力強く丸い時計を掲げている形状のデザインで、見た目に美しく、金色の振り子が揺れ動いていることも魅力的で、旅行中に偶然見つけて即購入し送り届けてもらったものであった。

ところが、いつからか大きく揺れ動く振り子が止まってしまって、その時計の価値を半減させた。振り子時計は美しいが、動くから美しいのであって、動かないと時計の針自体はちゃんと機能し動いていても生命力のようなものが感じられなくなってしまい、妙にさびしく、その価値を半減させる。何か原因があるに違いないが、どこをどうすれば良いのか分からず、そのままに放置していた。気のせいなのかもしれないが、どうも振り子が動かなくなってからと云うもの、物事がスムーズに運ばない。だから何とかしなければ…と思いながらも日常の雑事に追われ、何カ月もそのままになっていた。

それが先日、何気なく気がつくと、振り子は音もなく再び左右に揺れ出していた。キツネにつままれたように、それを見ていたが、大きな振り子が揺れているのは生命力が戻ったかのような晴れ晴れとしたものを感じさせる。なぜ急に再び動き出したのかは謎であるが、ときどき我が家にはそういう奇妙な出来事が起こるので、今では別段に恐怖心も起きない。それよりも失われていた活気が戻ったかのようで、そのことの方がうれしい。

活気と云えば、ここ何日か室内にこもっていたせいか、久しぶりに外出して、春の息吹を感じた。私の住んでいる札幌は四季の変化がハッキリとしていて、街を歩くとさまざまなところでそれを実感する。路面から雪がなくなって、まだ所々にその残骸のような色あせた塊があるが、やがてそれも消えていくのだろう。春を一番先に察知するのは植物で、3月に入ってからというもの鉢植えの観葉植物に水をやりながら、私は明らかに葉が大きく活き活きと変わり始めたことを感知していた。ただその時点ではまだ気温が低く、雪も無くなってなどいない。鉢植えは室内にあるので、雪解けは関係ないかもしれないが、多分何かで春の訪れを感じ取っているのだ。私のところは日差しを受けると真冬でも気温の高い日が少なくないので、単なる室内温度の変化でないことは確かだ。

私の尊敬する観相家の中村文聡氏は、人間の気色や画相を習得したかったら、まず植物の観察から始めよ、と云った。毎日、植物に対して精緻な観察を続けていると「気」というものの正体を把握できるようになる、と云うのだ。これは真実で、植物は無言だが、明らかに生命力の強弱がある。タイなどへ行くと感じるのだが、向こうの植物は全体的に大きく鉢植えであっても巨大なものが多い。さして手入れをしているとも思えないのだが、雨上がりの陽光の中で青々と葉先を伸ばしている。スコールのような雨と、その後の日差しが対照的で、あのような大きく力強い南国の植物を生み出すのかもしれない。

古来、神道や仙道で用いられる滝行なども、激しく降り注ぐ水を浴びることで、人間の精神だけでなく、肉体的にも強健になるのかもしれない。植物の原理を当てはめれば、陽光輝く日差しの強い日に行う方が効果的と云えるだろう。「気」が強くなることで、武術の達人なども好んで行うのだろうか。

北国の春は遅い。コート不要の季節が来たとはまだまだ云えないが、新たな生命力が少しずつ育っていくような気がする。そういえば私が監修した新しい携帯コンテンツ『前世からの約束』も、今月から始まっている。春の息吹を感じさせるようにすくすくと成長し、強い生命力を発揮して、多くの人たちに役立ってくれると良いのだが…。


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