素顔のひとり言

時代が「007」に追いついて来た

久しぶりに映画館へ出向いて「007・慰めの報酬」を観た。私が唯一、子供の頃から見続けている映画が「007」シリーズだ。本当はもう一つ「男はつらいよ」シリーズがあったのだが、渥美清亡き後、続編は作られていない。確か前にも何かに書いた記憶があるが、この二つの映画には共通性があって、主人公は共に定まった住所と云うものがなく、常に動きまわっていて、その行く先々でトラブルに巻き込まれ、マドンナが出現して惚れっぽく、窮地から救い出す役目と相場が決まっている。一見、まったく異なった筋書きのように思えるが、案外共通性も多かったのだ。

ところが前作あたりから、007の方は何かが違ってきている。007のジェームズボンドが、あまり惚れっぽくなくなって、マドンナはどこか脇役的存在へと追いやられ、「正義の使者」と「悪の権化」と云う図式も崩れ、何となくシリアスでスリルが連続する組織犯罪撲滅へと挑む一匹狼の映画に変わりつつあるのだ。今回の「慰めの報酬」は、これまでの記録を塗り替えるほどのヒットだと云うが、確かに映画そのものの出来は良く、観る者を飽きさせない。場面展開が早く、ひとつのシーンでも「動」と「静」とを巧みに重ね合わせながら、さまざまな角度・方向からカメラを向け、必要以外の部分をわざとぼかす手法で臨場感を与えようとしている。特撮をあまり用いていないのも、反ってスリリングな印象を与えてくれる。

日本でもたまにサスペンス映画を作ることがあるが、たいていは面白くない。緊迫感や臨場感が観ているものにまで伝わらないのだ。巨額な経費を掛けるハリウッド映画と製作部分で比べるのも酷だが、ストーリー上の問題もある。日本の映画は観客に対して親切すぎるのだ。つまり、その映画を見ている誰もがストーリーを理解できるように描こうとする。それでどうしても単純で平面的なストーリーとなる。アメリカ映画は総じて場面展開が早く、そのシーンだけ見ていたのでは何が何だかわからない。次々と場面を変えながら、結果的にそれが何を意味するものだったのか理解させていく手法を使っている。だから最初から最後まできちんと見ていないと、物語が分からないように出来ている。日本のサスペンスドラマは最初と最後のシーンだけ見れば、およそのストーリー展開は把握できるように作られている。順序立てて誰にも理解できるように作ろうとすれば、日本のような緊迫感の乏しいサスペンスになる。

ただ、そういう日本的描写の仕方がプラスに働く映画ストーリーもある。芸術的要素の高い心理描写の多い作品群だ。日本人は古来、茶道や日本庭園のような静寂への美意識が強い。日本画にみられるような空間に語らせる技法にたけている。和歌にしろ、俳句にしろ、すべて「無」の中に語らせる手法で、心の中を表そうとする文学表現だ。映画と云うのは、この「無」に語らせる手法を少なからず取り入れないと、芸術的な作品にはならない。人を本当の意味で感動させる作品を誕生させにくい。そういう意味では日本人に合っている芸術なのだ。歴史大作とかサスペンス巨編は巨費を投じなければ良い作品は生まれないが、心の中を描こうとするなら、日本人の持っている空間描写が生きて来るはずだ。アメリカでも昨今、一時期に比べると派手な特撮に頼る作品は少なくなって、ストーリー重視、心理描写重視の作品が多くなった。「007」にしても、派手で華やかなアクション場面だけを売りとしていたのは過去のものに変わりつつある。思えば私が最初に007を観たのは、まだ中学生のときで隣の席の友人に強く勧められたからだ。彼は授業中、007がいかに面白い映画かを饒舌に語った。私はつい引き込まれ、おかげで成績はぐんぐん下がった。トップクラスだった成績は真ん中くらいまで落ちてしまった。それでも私は、都会的風貌とオシャレセンスにたけていた彼を嫌うことが出来なかった。或る種、憧れるような気持ちの中で、授業中の彼の話に聴き入っていた。確かに彼にはジェームズボンドとは違うが、未来社会からやって来た洋風ダンディな雰囲気があった。ところが、その彼が急に学校に来なくなった。肺炎で入院してしまったらしい。長期入院で欠席のままクラス替えとなったので、その後どうなったのか私は知らない。私の成績はかなり回復したが、それよりも、せっかく出来た友人を失ってしまったことの方が私にはショックだった。

その後、私は007シリーズの多くの作品を観た。そして観るたび、あの友人を思い出す。007の初期の作品群は、どこかスーパーマンのようなところがあって、諜報部員と云う職業も絵空事にしか思えなかった。さまざまな未来兵器・化学兵器が登場し、国家間の機密情報流出なども、当時としては近未来の出来事で日本人的感覚としては絵空事にしか思えなかった。

けれども、映画の中で語られていたような状況が、多少形は変えているが、現実の出来事として世界中で展開されるような時代に入りつつある。諜報部員と云う職業も違和感がなくなったし、国家の機密情報流出とか、スパイの暗躍なども、今や現実の出来事として語られる時代に変わった。そのせいか007の内容にも変化が出て来て、初期の作品群では東西の対立と云うことが絶対的基準だったのが、今やそういう図式は取り払われ、最近の世界情勢を反映するものに変わりつつあるようだ。言ってみれば、昔は映画フィクションの方が時代をリードしていたのに、今では時代の変化・事象が007のストーリーに挿入されるまでになっている。そうしないと現実と遊離してしまうからだ。未来の夢物語だったはずの作品は、いつの間にか現実を投射する作品群へと変わりつつあるのかもしれない。


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