今日の迷言・余言・禁言

“占い”を「哲学」にすることの「危険性」

まず誤解を避けるために、私は特定の占術家を傷つけたり、攻撃したりする気は毛頭ない。ただ根本的に“危険な部分”を孕んでいるので、それを指摘しておきたいだけだ。去年から今年にかけて占星家として知られる松村潔氏が『西洋占星術哲学』『タロット哲学』という二冊の大書を刊行されている。彼の書籍は大体がそうなのだが、分厚い。もう少し要領よく書けないものかな、と私などは思ってしまうのだが、とにかく何でもねちっこい書き方をする。今回の二冊は、多分、彼にとっては、ご自身の占術に対しての“向き合い方”を表明するものなのに違いない。ただ、彼自身は良いとして、それを“そのまま受け止める”読者がいるとすれば、少々危険なのだ。「占い」というのは、元々「哲学」なんかではない。むしろ、それとは“真逆”に位置するもので、哲学的発想から生まれたものではない。「哲学」というのは、最終的には「生きるとは何ぞや」を追求していく学問である。「占い」というのは「未来を指し示す」術技である。元々“学問”よりは“技術”に近く、そのための理論や体系でしかない。われわれは誰でも、古代からずっと、幸せを追求して生きている。その幸せを得るための“一つの方法”として未来への「道しるべ」を求めた。それは「生きるとは何ぞや」ではなくて、こっちへ向かえばこれこれが…、あっちへ向かえばこれこれが…、という極めて現実的な“可能性”を示唆するものである。本来、そういうものが「占い」なのだ。古代人は「生きるとは何ぞや」を追求するために「占い」を創始したのではない。あくまでも“生活の知恵”として、襲って来る「敵」や「自然災害」から逃れる方法、或いは負けない方法のヒントとして、後世の人々に“それ”を遺そうとしたのだ。だから、世界各国、各民族に、固有の「占い」が遺されている。宗教よりも、より現実的な“手立て”として、古代人は“星”を観て、或いは“掌”や“顔”を観て、時に動物の“骨”や“肝臓”を観て、さまざまな暮らしの中のものを観て、それを“未来を知る手立て”としてきた。未来を予知することで、少しでも“凶災”から逃れたかったからだ。「生きるとは何ぞや」を追求し過ぎると、結局、占いなんて「意味のないもの」のように扱いがちになる。自分が、これまで「占い」を研究したのは何のためだったのか、と思い悩むようなことになりやすい。それこそ、私が「危険性」を警告する一番の“落とし穴”なのだ。


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