今日の迷言・余言・禁言

さまざまな「生き方」「考え方」があって良い

日本は比較的“自由な国”である。何を言ったからと言って、すぐ逮捕されるとか、処刑されるとかいうことはない。だから、さまざまな「生き方」「考え方」が基本的に許されている。ところが、時々、それを“許すまい”とするような発言をされる方がいる。もちろん、道義的というか、倫理的というか、常識的に“許されない発言”というのはある。だから、その辺はさじ加減が難しいのだが、一応、自由な会話や発言が許されている国であることは大変に喜ばしい。さて、21日のTV番組内で、ゲストとして登場した“靴職人”花田優一氏とレギュラー出演者たちが、互いに批判し合う場面があったと話題になっている。まず彼の工房を訪れた野々村友紀子氏が「靴を作らない靴職人というイメージ」として彼を紹介している。確かに、一部報道では“納期遅れ”が指摘されているが、わざわざ取材紹介する形のリポートとして相応しい発言とは言えない。それら一連の流れの中で、花田氏が「コメンテーターの人、そもそも大嫌いなんです」という発言が出る。私が思うに、花田家はこれまで彼だけではなくて、父親も、母親も、祖母も、伯父も…さまざまな人達がマスコミに叩かれてきた。コメンテーターというより、マスコミ報道に関わる人達全員に或る種アレルギー反応が出てしまうのも、まあ仕方のないところがある。ところが、この言葉に異常なほどに反応したのが室井佑月氏だった。彼女は「すごく小バカにされている気がする。こっちも嫌い」と感情的になった。室井佑月氏は、コメンテーターとしてマスコミに登場したころ新鮮な発言が多く輝いて見えた。けれども、やがてコメンテーターの仕事が中心になって来ると、初期のがむしゃらさが消え、やや考え方にも“政治色”が出て来て、批判の多いコメントが多くなった。批判が悪いわけではないが、“あら捜し的コメント”が多くなると、一般の視聴者との間に距離が生まれて来る。近年、コメンテーターには“芸人”も多くなった。昔のような“文化人”だけではなくなっている。それだけに“野次馬的発言”も多くなって、そういう人達に“違和感”を抱き、コメンテーターそのものを嫌う人達が出て来たとしても、仕方がない。近年のワイドショーには定番のように“芸人の席”が設けられている。その部分をTV局側が見直さない限り、コメンテーターは“尊敬される職業”とはなり得ない。


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