今日の迷言・余言・禁言

「文学賞」は“ノーベル賞”より“新たな賞”が相応しい

今年も今日7日から「ノーベル賞」の発表が行われる。特に今年は昨年スウェーデン・アカデミー関係者の不祥事によって選考・発表が見合わせとなった「文学賞」を、昨年分と合わせ発表ということで注目が集まっている。けれども、私はかねがね「文学賞」には疑問を持っている。本来、ノーベル賞というのは“科学的な功績”に対して贈られる賞ではなかったのか。もし、本来なら“芸術分野”に属すると思われる「文学賞」を加えるのであれば、絵画などの「美術賞」もなければおかしい。もっと言えば、さまざまな芸術部門「絵画・デザイン賞」「詩・作詞賞」「小説・戯曲賞」「音楽・歌唱賞」「評論・エッセイ賞」「彫刻・陶器賞」「漫画・アニメ賞」「舞踏・映画賞」など種々な分野が存在している。そのうちの小説分野だけを取り上げるのはおかしい。例えばピカソの「ゲルニカ」は“戦争の愚かさを問う作品”である。科学的な形で世の中に貢献するものもあれば、精神的な形で世の中に貢献するものもある。もし、ノーベル賞が「文学」をそれに値するとみなすのであれば「絵画」「彫刻」「映画」「音楽」「舞台」にだって、そういう作品はたくさんあるのだ。さらに「文学賞」の問題は、それ以外にもある。言語の問題だ。例えば日本語で書かれた作品は、英語で書かれた作品に比べて“不利”だと言われる。翻訳出版されても、日本語の“微妙な表現”はなかなか伝わりにくい。さらに「歌」等とも違って、文学には“その年”というものが定めにくい。例えば長編の場合には“どの年”を発表年とするのか、判然としない。これまでの功績というなら、その年ごとに発表する意味もない。さらに、これは文学だけではないが、趣味・嗜好の問題もある。芸術作品は“科学的な功績”のように、客観的な評価というものを与えにくい。例えば何年か前、日本人でイギリスに帰化しているイシグロ氏が「ノーベル文学賞」を得た。その作品は、正直、私には解かりにくかった。何となく“重たい作品”であることは解かるし、複雑なアイデンティティーの中で生きていかざるを得ない人々がいるということは解かったが、それが“世界に寄与する”ことなのかは疑問だった。そういう風に、その価値を客観的に“計りにくい”のが文学である。もちろん、芸術作品として、あらゆるジャンルの中から“優れた作品・作家”を選出するのなら良いとは思うのだが…。文学だけに特化するのが解からないのだ。だから世界的な「芸術のノーベル賞」のような“賞”を早く創設して、そちらの方に回した方が良い。誰かノーベル氏のように芸術分野で“大儲けした人物”は居ないのであろうか。


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